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    2018年12月

    1: ガラケー記者 ★ 2018/07/24(火) 14:08:56.68 ID:CAP_USER
    2018年7月11日、韓国・ザ・スクープは「日本ブームの裏にある悲しい経済学」との見出しで、その実態を報じた。

    記事によると、「トレンドのバロメーター」とされるソウルの弘大(ホンデ)、合井(ハプチョン)エリアで「日本ブーム」が起きている。居酒屋から定食屋まであちこちに日本語の看板が目につく。夜になると新宿の夜と見間違えるほどだというが、こうなったのはここ2~3年の出来事だという。和食市場も急成長しており、同エリアのみならずソウル市内には和食の店が多く存在。公正取引委員会の調査によると、和食のブランド数は15年の89個から17年には154個と73%増加し、中華料理(59%)、洋食(16%)をはるかに上回る増加率を見せている。特徴的なのは「テーブル10卓程度の小規模な店」が多い点だという。

    記事では、この現象について四つの理由を挙げている。一つ目は「円安と格安航空(LCC)効果」で、日本旅行に行く若者が急増したことにより、和食や日本文化を好む人が多くなったこと。実際に日本へ行く旅行者も14年の275万人から、昨年は714万人に増加した。
    二つ目は、一人暮らしや若者の失業問題といった日本のトレンドが、そのまま韓国に流入した点。これにより「一人メシ」の人口も増え、コンビニの弁当や小分け商品が韓国でも増加しているという。三つ目は、若者を中心に日本のテレビドラマ「孤独のグルメ」が人気を博したこと。四つ目は、和食店が小規模でも経営できるという特徴を持っていることだという。

    これを受け、ソウル大学心理学科のクァク・クムジュ教授は「韓国と同様の社会問題を先に経験した日本に対する関心が高くなっている。長期にわたる景気低迷を脱しつつある日本を意識する中で、日本文化が徐々に拡散している」と説明している。記事は最後に「韓国の路地を変えつつある日本ブームには、このような悲しい物語が潜んでいる。話に聞いていた『失われた20年』の入り口に、今度は韓国が立っているのかもしれない」とつづっている。

    これに、韓国のネット上では「いや、単に儲けがいいから」「日本の生き方を追っているということは否定できない」「会社でも仕事は一緒にするけど、ご飯は一人の方が楽」「韓国は世界で一番日本に行く国…」「最近は放送社ごとに日本旅行や和食の紹介番組をやってるからブームは当然のこと。でもブームはいつかなくなる」「いいものは取り入れるべき」など、さまざまなコメントが寄せられた。
    Record china
    2018年7月23日(月) 21時40分
    https://www.recordchina.co.jp/b627096-s0-c30-d0127.html

    引用元: ・【夜になると新宿の夜と見間違えるほど】韓国の日本ブームの裏には「悲しいストーリー」が?[07/23]

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    1: Ikh ★ 2018/09/12(水) 19:08:21.88 ID:CAP_USER
    彼女は富士山を見ながら育った。家からも見えるし、街からも見えるし、学校からも見えるのがその山だったから当然のことともいえる。

    富士山の雄大な姿は、感嘆と尊敬の対象だったし、「あまりにも堂々としているので、かえって憎しみの象徴」でもあった。その山に向かって愚痴をこぼしながら、そのゆったりとした懐の中で育ち、成長して熟したということだ。

    ところがある日から、その山は違う形に見え始めた。韓国人であることを自覚してからだった。その時から、その山は「恐ろしい日本帝国主義と祖国を侵略した軍国主義の象徴」だった。

    寛大で壮大な姿の富士山が、今は「否定して拒否しなければならない対象」だった。富士山に関する感情の分裂と傷はそう始まった。

    彼女は「由煕」という小説で1988年、第100回芥川賞を受賞した在日韓国人作家の??枝(イ・ヤンジ)だった。彼女は富士山を後にして韓国に来て、韓国語と韓国文化を熱心に身につけ、カヤグムと土俗舞踊に傾倒した。

    何とか富士山で象徴される日本を突き放したいと思った。ところが、彼女は富士山を否定すればするほど、「まるで恵み深い人に対して陰で悪口を言っているのと同じ不思議な呵責」を感じた。

    逆説的にも、彼女は富士山が自分の心の中の深いところを占めていることを、韓国に来てから気づいた。混乱した。「由煕」をはじめとする小説は、その混乱の感情の告白だった。苦心に苦心を重ねた末、彼女が到達した結論は、「自分の中に染みている日本」を否定せず、そのまま認めようというものだった。

    富士山が見える町を去ってから17年が過ぎたある日、??枝は自分が住んでいた町を訪れた。富士山は相変わらず同じ姿で同じ場所にいた。今、彼女は穏やかな心で富士山の美しさを味わうことができた。そうなるまでに17年がかかった。

    長い間自分を苦しませた分裂的で両家的な感情と和解したから可能なことだった。傷の癒し方はそのままを受け入れる肯定の精神にあった。


    September. 12, 2018 08:31 東亞日報
    http://japanese.donga.com/List/3/0502/27/1461061/1
    ※前スレ
    【富士山の傷】 ある日、韓国人であることを自覚してから、その山は「恐ろしい日本帝国主義と祖国を侵略した軍国主義の象徴」 [09/12]
    http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1536718740/
    【富士山の傷】 ある日、韓国人であることを自覚してから、その山は「恐ろしい日本帝国主義と祖国を侵略した軍国主義の象徴」★2
    http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1536724670/

    引用元: ・【富士山の傷】 ある日、韓国人であることを自覚してから、その山は「恐ろしい日本帝国主義と祖国を侵略した軍国主義の象徴」★3

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    1: 動物園φ ★ 2018/09/09(日) 09:27:19.51 ID:CAP_USER
    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城
    「日帝による鉄道敷設は開発にして収奪」
    「当時は釜山発京城行きが下り線だった」

    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城

     「20世紀前半、ソウル(京城)は東アジア鉄道ネットワークのハブ(中心地)だった。日本列島-韓半島(朝鮮半島)-満州-ユーラシア大陸を最短距離で連結するための鉄道が韓半島を貫通した。近代のソウルは鉄道が作った都市にほかならなかったが、鉄道の歴史はすなわち収奪された韓国人の血史でもあった」

     東北アジア歴史財団の理事長も務めた歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学名誉教授(67)が、新たな歴史書『鉄道と近代ソウル』(国学資料院刊)を出版した。5年にわたり韓国と日本の資料およそ1000点を集めて研究した成果で、600ページにもなる。

     1979年に鄭教授が日本留学へ出掛けた際、日本の歴史学界では植民地支配を美化し、「日本が韓国に鉄道を敷いてやったではないか」
    という見方が広く存在していた。「実にとんでもないことだった。鉄道敷設の過程で韓国がどれほど多くの労働力と土地を収奪されたか…」。その後、近現代史全般を幅広く研究した鄭教授は、単行本『日帝侵略と韓国鉄道 1894-1945』(1999)など鉄道史研究にも関心を持ち続けた。

     今回の著書で鄭教授は、ソウルを中心に近代鉄道の歴史を振り返っている。ソウルは京仁線、京釜線、京義線、京元線、京春線、京慶線(中央線)など、「京」の字が付く韓国の幹線鉄道網の始発点にして終着点だった。さらに、北東アジアの直通国際列車が奉天(現在の瀋陽)を経て北京へ、ハルビンとシベリア鉄道を経て欧州につながる、四方八方とつながった国際交通都市でもあった。「日本の下関からユーラシア大陸の反対側にあるエストニアのタリンまで行く、1940年に発行された乗車券の写真がある。その路線は当然、ソウルを経由しなければならなかった。ソウルで、パリやモスクワまで行く列車の時刻表を買うことができた」

     鄭教授は「鉄道は、一言でいえば利器であると同時に凶器だった」と語った。1899年から1945年までの間、日本は総延長6400キロに及ぶ鉄道を韓半島に敷設し、その鉄道網を通して支配力を強化・拡大し、物資を持ち去った。「徹底して日本帝国主義の利益のために作られた鉄道路線は、『侵略』と『開発』、『収奪』と『近代』という両方の属性を併せ持っていた」という。

     鉄道は、ソウル市民が近代文物を受け入れるルートでもあった。「1日を12の単位に分けていた時間概念は、汽車に乗り遅れることのないよう分・秒単位に変わらなければならず、また汽車は老若男女が同じ空間に混在する、社会的に開放された場所だった」。独立運動でも大きな役割を果たしたのが鉄道だった。三・一運動は、鉄道路線を介して朝鮮全土に広がっていった。一方、同じ料金を払っても日本人より一等級下の扱いを受けるという、差別と抑圧の空間でもあった。植民地時代にあっては、釜山から京城(現在のソウル)に向かう路線が「下り」だったが、これは「帝国の首都たる東京から植民地の京城に下っていくルート」という意味だった。

     あまり知られていない話も多い。大日本帝国は、鉄道を敷きやすい地形を選んで京釜線のルートを決めたため、ソウル-大田間では慶尚道・全羅道に向かう交通量が合わさり、ボトルネック現象が起きた。この問題は現在まで続いている。鄭教授は「南北の鉄道連結、そして1940年代に既にシステムを備えていた東アジア鉄道網の回復は、政治的利害関係とは関係なく将来必ず行われるべきこと」と語った。鉄道によって連結されたとき、ソウルは東アジアの拠点都市として真価を発揮したが、その鉄路に血のにじむ歴史があったという事実も忘れてはならないと言う。

    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/07/2018090701782_1.html

    引用元: ・【韓国】日本による鉄道敷設の過程で韓国は多くの労働力と土地を収奪された

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/12(水) 19:13:57.19 ID:CAP_USER
    世界の歴史を見ればどの国でも帝国主義侵略者などは被支配国家の民族文化を抹殺しようとした。それが植民地支配を容易にし、独立運動など抵抗を防ぐ最も効率的な手段だからだ。私たち韓民族の歴史でも日帝強制占領期間、大韓帝国のハングル、文化などと共に「漢方医学」(訳注:ハングルで同音なので漢方か韓方か不明)も民族文化抹殺政策の被害を大きく受けた。

    朝鮮時代までこの土地の主流医学だった中世漢方医学は大韓帝国期の高宗(コジョン)皇帝によって当時、新しい文物だった近代西洋医学と結合して統合医療を施行した。近代漢方医学としての発展過程だった。
    (中略:漢方医学の歴史)

    このように徐々に進行された近代漢方医学の発展は日帝強制占領期間が始まって状況が急変した。1905年乙巳保護条約で私たちの行政権が日帝の統監部に移り、漢方医と洋医が共存した広済院は強制的に閉鎖措置され統監部が設置した大漢方医院で日本人病院長によって漢方医は全部追い出された。

    1914年1月には漢方医を医師ではなく「医生」に格下げさせて保健医療制度から公式に疎外させてしまった。ついに36年の日帝強制占領期間に漢方医制度自体が消えてしまったのだ。

    光復以後、日帝強制占領期間の間の植民文化を克服しようとする多くの人々の血と汗にまみれた努力によって1951年、「国民医療法」が制定され漢方医制度がやっと回復し、まだ制度的不平等が医療制度のあちこちに存在するが、現大韓医学として発展して国民と共にある。

    ところが去る9月10日、大韓医師協会会長がこのような歴史的事実を歪曲し、「漢方医学は恥ずかしい日帝強制支配期の遺産」という全くでたらめな主張の記者会見をした。居直りの典型だ。

    日帝強制占領期間に最も大きな恩恵を受けた洋医らが、日帝強制占領による被害が最も大きかった漢方医学について日帝強制占領期間の遺産とは、60才を越える高齢で「サイトウ」総督に爆弾を投げた漢方医・姜宇奎(カン・ウギュ)先生をはじめとする数多くの独立活動家を逮捕して拷問して「拷問王」と呼ばれた日帝高等係刑事キム・テソクが光復後、反民特別委で親日をしなかったと主張するのと全く同じだ。

    これを見れば医師協会は民族の精気を抹殺しようとした親日派をそのまま真似ようとしているのではないかという気がする。

    ユン・ソンチャン京畿道(キョンギド)漢方医師会長
    http://ph.kyeonggi.com/news/photo/201809/1518891_1407594_5652.jpg

    ソース:京畿(キョンギ)日報(韓国語) [天子春秋]漢方医学が日帝強制支配期の遺産?
    http://www.kyeonggi.com/?mod=news&act=articleView&idxno=1518891

    関連スレ:【韓国】 漢方医学、そして高麗医学~漢方は中国医学ではなく「大きな医学」という意味★3
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1536673711/
    【韓国】 日帝総督に爆弾を投げた姜宇奎(カン・ウギュ)義士義挙99周年記念式開催[09/02]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1535889999/

    引用元: ・【韓国】 漢方医学が日帝強制支配期の遺産?~大韓医師協会会長は民族精気を抹殺しようとした親日派を真似るのか[09/11]

    【日本へのヘイトスピーチをやめろ【韓国】 漢方医学が日帝強制支配期の遺産?~大韓医師協会会長は民族精気を抹殺しようとした親日派を真似るのか[09/11] 】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/10(月) 00:38:43.73 ID:CAP_USER
    no title

    ▲8月15日、「光復節」式典で演説する韓国の文在寅大統領=ソウル(共同)

     1970年代以来の韓国との長い付き合いの中で主な関心の一つになってきたのは「韓国人の歴史観」だが、いまなおこのテーマは飽きない。最近も韓国メディアにこんな“歴史観”が堂々と書かれていて、うれしくなったりあきれたりで興味をそそられた。

     韓国を代表する新聞、東亜日報のパリ特派員がフランス北部のノルマンディーにある「カン平和記念博物館」を訪れた話をルポ風に書いた論評(5日付)がそれで、まず冒頭にこう書いてあった。「フランスとドイツの歴史的背景は韓国・日本とよく比較される。フランスと韓国は第二次大戦当時、ドイツと日本に占領された痛みがあるからだ」

     歴史的に日韓の関係はフランスとドイツの関係に似ているという言説は韓国(だけ)でよく語られるのだが、多くの日本人は「ええっ?」と思う。韓国人のこの“誤解”の背景には、過去の日本による支配・統治を条約による(合意の)併合ではなく「強占」つまり「強制的な占領」とし、われわれはそれと戦って解放を勝ち取ったのだという独特の歴史観がある。

     文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、日本統治からの解放73年に当たる8月15日の「光復節」演説で「(日本からの)解放は決して外から与えられたものではありません」と述べ、解放は日本と戦って自力で勝ち取ったと強調していた。

     しかし事実としての歴史は、韓国は近代化の過程で日本に併合・統治され、戦時中は日本の一部として連合国を相手に戦い、最後は日本が敗戦したため日本支配から解放された-というものだ。ところが韓国では近年、日本の支配と戦ったという独立運動が過剰(?)に強調され、いわば“対日戦勝史観”が幅を利かせている。

     独仏関係との比較論に戻れば、フランスはドイツによっていわゆる植民地にされたことなどなく、ドイツの占領・支配によってフランスに近代化がもたらされたわけでもない。したがって韓国をフランスと同列に考えることなどどだい無理なのに、韓国は対日戦勝史観のせいで自らを連合国側のフランスに位置付けたがる。

     くだんのパリ特派員によると、博物館にはドイツの国旗も掲げられ、ドイツ語のガイドもあり、展示内容は「感情的に(ドイツに対する)怒りを誘うような刺激的なものはなかった」という。そして「フランスのこうした歴史に対する淡々とした姿勢はドイツの徹底した反省があったからだ」とし、論評の後半はそのドイツに比べると日本はいまだ何も反省していないという、事実無視のお決まりの日本批判だ。

     フランスが淡々としているのはおそらく連合国の一員として対独戦勝国だったからだが、韓国人の歴史観は自らをフランスになぞらえながらも、日本に対してはいまなお感情抜きの淡々とした姿勢を取れないでいる。

     これは、韓国がフランスの対独関係のように日本と戦って勝ったわけではなく、その鬱憤(うっぷん)が今も続いているためとみた方がいい。歴史的事実抜きで自らを安易(?)にフランスに見立て、ドイツに学べとばかり日本非難に熱を上げる論評の心理は痛みより快感という感じだ。

      (ソウル駐在客員論説委員)

    ソース:産経ニュース【黒田勝弘のから(韓)くに便り】日韓を独仏に見立てる快感
    https://www.sankei.com/column/news/180909/clm1809090005-n1.html

    引用元: ・【黒田勝弘のから(韓)くに便り】 日韓を独仏に見立てる快感~歴史的事実無視の「対日戦勝史観」[09/09]

    【異常だよね 【黒田勝弘のから(韓)くに便り】 日韓を独仏に見立てる快感~歴史的事実無視の「対日戦勝史観」[09/09] 】の続きを読む

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