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    カテゴリ: 反日

    1: 動物園φ ★ 2018/01/03(水) 20:51:06.48 ID:CAP_USER
    天木直人
    2017年12月31日 08:29

    とっくに終わっていた日韓合意

     韓国が日韓合意の検証報告書を公表して以来、猛烈なスピードで日韓合意が終ろうとしている。

     文在寅大統領が日韓合意の否定発言をしたかと思ったら、今度は慰安婦財団理事5人の辞意提出という事実上の財団解散だ。

     日韓合意の主要目的の一つが、慰安婦たちへの補償にあるのだから、慰安婦財団が解散すれば日韓合意は終わる事になる。

     しかし、じつは日韓合意はとっくに終わっていたのだ。

     その事を財団理事の辞任を報じるきょう12月31日の毎日新聞の記事が教えてくれている。

     そこにはこう書かれている。

    「・・・発足当初は韓国政府予算として支出された財団運営費は、同党(筆者註:文在寅大統領ら当時の野党)の反対で翌年度(17年度)分は政府予算が削除された。このため現在は日本の拠出分から支出している・・・」

     何のことはない。

     合意されていた慰安婦財団の韓国側経費負担が、わずか1年も経たないうちに韓国側の都合で破られていたのだ。

     それにもかかわらず、日本政府は文句も言わずに肩代わりしていた。

     なぜか。

     それは、日本政府の資金でつなぎ留められた財団委員らを使って、日本政府が無理やりに慰安婦らに補償を受け取らせようとしたからだ。

     なんでそこまで無理をして補償を受け取らせなければいけないのか。

     その一方で、日韓合意のもうひとつの主要目的である慰安婦像の撤去については、合意違反のままだ。

     撤去どころかどんどんと増えている。

     これを要するに日韓合意はとっくに終わっていたのだ。

     日韓合意の見直しは、日本にとっても当然の外交交渉である(了)

    http://blogos.com/article/268592/


    http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1514974127/

    引用元: ・【話題】日本政府は慰安婦らに無理やり補償金を受け取らせようとした ★3

    【【なんだよこの謎理論】元駐レバノン日本大使「日本政府は慰安婦らに無理やり補償金を受け取らせようとした」 【blogos】】の続きを読む

    1: LingLing ★ 2017/10/12(木) 22:14:58.49 ID:CAP_USER
    [チョ・ヨンホンサロン][1112]川前宗家の蘊酒法
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    チョ・ヨンホン建国大客員教授・文化コンテンツ学

    茶禮という単語はウリマル(※韓国語のこと)に残っているだけで、実態は消えた。

    その具体的な礼法は日本に残っていた。

    古代文化の中心部では消えても、周辺部ではしっかりと保存されている場合が多い。茶禮がそうだ。

    織田信長、豊臣秀吉の茶の先生を務めた日本茶道の宗匠・千利休(1522~1591)。

    彼の15代後孫である千玄室を一昨日、北京茶道の行事で見る機会があった。

    韓国年齢で95歳になるが外国行事を主管していた。

    「裏千家」の生きる伝説であると共に東洋の貴族文化を代表する。

    一生涯茶道で鍛えてきた節制と品格を身につけていながらも、話す時は素朴な表情だった。

    日本の茶禮を見ながら「朝鮮は何か?」を考えさせられた。酒禮だという気がする。

    高麗仏教が茶を重視したならば、朝鮮王朝に入って儒教が盛んになり、茶の代わりにに酒を祭祀に使用した。

    安東義城金氏・川前大宗家に伝わっている「蘊酒法」文書がまさにそうした伝統を代弁する。

    1700年代後半、この家の宗婦(晋州姜氏の祖母)がその内容をハングルで記録しておいたものだ。

    57種類の酒を作る法を記録しておいた。

    イファ酒、カンチョム酒、サムヘム酒、ペクジャ酒、チャンギャンククリョル酒、ソワンモユオクギョンジャン酒などだ。

    「蘊酒法」を研究しているこの家の子孫・金明均(63)は両班の二つの業務が「奉祭祀、接賓客」だが、二つの仕事に欠かせないものが酒だったと答えている。

    蘊酒法の序文には「酒は、身命を感動させて、賓客を和暢させる」という内容が書かれている。

    両班家で酒を醸造する理由は、先祖の身命を感動させて家を訪れる客人を楽しませ振る舞うことだった。

    仏教が茶なら、儒教は酒だった。(省略…)

    ソース 朝鮮日報(韓国語)
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=110&oid=023&aid=0003318789
    no title

    引用元: ・【韓国文化】 韓国では消えたが、日本では残っている茶礼に対し…「蘊酒法」朝鮮では酒礼[10/12]

    【【何でも朝鮮発症】建国大教授「文化の中心・韓国で消えた茶礼、周辺部の日本で残った。茶の代わりに朝鮮では酒礼」】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★ 2017/10/09(月) 04:36:24.57 ID:CAP_USER
    朝鮮半島から由来の神道

    韓半島から由来した、神社の問題を考えてみたい。金達寿は日本国内の朝鮮半島起源の文物を現地調査して報告しており、それらは『日本の中の朝鮮文化』(講談社)シリーズで報告されている。

    彼の調査の特徴は、新規の発見や発掘ではないことで、すべて古来から朝鮮半島からの伝来として記録のあるものばかりを追っている(それらの記録とは、『古事記』、『日本書紀』、各種風土記、社寺縁起などを指す)。彼はそれらを丹念に尋ね、再確認している。

    その報告を見るにつけ、日本の神社の多くに「大和民族」固有でなく、朝鮮半島から伝来したものがあることをいまさらながらに気付かされる。2、3の例を挙げると、同シリーズの第5巻の中に敦賀の起源がある。

    敦賀はもともと角度(つぬが)であり、崇神天皇の世に任那(みまな)の王子の都怒賀阿羅斯等命(ツヌガアラシトのミコト)が気比浦に上陸した。そうして地名を「つぬが」とした。(『日本書紀』、垂仁天皇、第2年の条)

    また、仲哀天皇は角鹿を訪れ、笥飯宮(けいいのみや)を建てた。現在の気比神宮である。この気比神宮の祭神は、新羅(しらぎ)の王子の天日矛(アメのヒボコ)であり、神名は伊奢沙別命(イササワケのミコト)であり、若狭一宮である。

    言うまでもないことだが、任那も新羅も韓半島に存在した国名である。

    もう一例は、能登半島、中島町の久麻加夫都珂良志比古(クマカブトアラシヒコ)神社である。この神社の神体は、朝鮮道服(道教)を纏(まと)って、冠帽をつけた木像といわれている。金達寿は宮司から特別に拝観を許され木像に対面し、その通りであることを発見し感動する。また翌年の祭りの季節に訪れ、祭りの行列の歩き方が朝鮮式のステップであることを発見して感激する。

    古記録によると、能登半島の神社の8割が百済(くだら)、新羅よりの渡来とされているが、そのことを金氏は再確認する。

    さらに越中に移り、富山県の小矢部(おやべ)市史から、同県の栃波(となみ)郡内の神社の祭神はすべて『古事記』『日本書紀』に見える神名に変えられてしまっているが、 なお「・・・ほんらいの姿はあらわれていない・・・古い伝承・・・郡内ではまず異国の神々の存在を忘れてはならない」というところを引用している。

    7世紀の百済の滅亡の前後に多くの渡来人が大和朝廷に来たことは歴史に明らかである。通常は朝鮮半島の文化はまず大和朝廷に伝来し、そこからあらためて地方に波及したとされるが、能登半島の場合は、日本海を渡って直接に渡来したと考えるほうが自然であろうと金達寿は言う。

    さらに、興味のあることであるが、金氏は読売新聞に載った、東京医科歯科大の島本多喜雄氏の報告について書いている。(新聞の日付はない)

    それによると、島本氏は百済の歴史博物館を訪れたところ、鳥居と千木(ちぎ)を備えた建物であるのに驚いた。(千木は神社の屋根の上に部材が逆八の字に立ち上がっている物。神社建築の典型)

    実は韓国でもこの建物に対して、これは日本の神宮ではないか、何でこんなものをいまさら建てるのかと非難轟々(ごうごう)であった、と。ところが史実によると、これが百済の王宮の正式の建物であるとのことで、韓国民は納得したという。

    この記事を紹介した後で、金氏は鳥居について述べているが、沿海州(シベリアの日本海沿岸地域)のツングース、ギリヤーク族などの習俗の中には、墓地の入り口に鳥居を置くものがある。この「鳥居」には実際に鳥が刻んであったり、または鳥を彫刻したものが吊るしてある。

    これは韓半島から沿海州にかけての、死者の霊魂は鳥となって飛ぶとされる思想から来ており、鳥居とは、霊魂が鳥となって飛来したときに止まる場所である、と金氏は言う。同氏は、鳥居が沿海州の葬送の風習の後、一部として始まり、百済(346?~660年)の王宮の建築に取り入れられ、さらに日本に渡来したと考えている。

    なお、百済の滅亡の後、仏教の伝来により鳥居は破壊されたようである。朝鮮は原理主義的な傾向の強い国であり、仏教も排他的性格を帯び、土俗信仰の象徴である鳥居を廃止したようである。

    http://www.christiantoday.co.jp/articles/24537/20171004/nihon-senkyo-ron-49.htm

    (続く)

    引用元: ・【宗教】朝鮮半島から由来した神道 日本の神社の多くに朝鮮半島から伝来したものがあることをいまさらながらに気付かされる 後藤牧人

    【【話しが逆】「韓半島から由来した神道 金達寿が確認している」韓半島から由来した神道 金達寿が確認している」クリスチャントゥディ(後藤牧人)】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★ 2017/10/26(木) 15:30:55.86 ID:CAP_USER
    大韓帝国侵略の元凶である伊藤博文を狙撃し、死に追い込んだ安重根(アン・ジュングン)義士の義挙が108周年をむかえた中、安重根義士が直接明らかにした「伊藤博文を処断した15の理由」が再照明されている。

    1909年10月26日、安重根義士がハルビン駅で伊藤博文を狙撃した。安義士が狙撃した伊藤博文は「乙巳保護条約(1905年日本が大韓帝国の外交権を剥奪するために大韓帝国政府を強圧して締結した条約)」締結を主導した大韓帝国侵略の元凶で、安義士はそのような伊藤博文を狙撃し、我が民族の自主独立意志を天下に知らせた。

    ロシア憲兵に逮捕された瞬間、「コレア ウラー!(大韓民国万歳!)」と叫んだ安義士はその後、ハルビン日本領事館に移され、そこで行われた検察官の尋問で「伊藤博文を処断した15の理由」を明らかにした。

    当時、安義士が明らかにした「15の理由」はシンガポールの英字新聞の「ストレイツ・タイムズ」の1909年12月2日付5面を通じて報道された。しかし、該当内容は報道当時は大きな注目をあびず、その後105年間水面下にかくされていて去る2014年に再び世界に公開された。

    そして安重根義士義挙108周年をむかえた今日(26日)「伊藤博文を処断した15の理由」は国内ネチズンらの間で再照明され話題を集めている。
    以下はその内容。

    1.明成(ミョンソン)皇后を殺害した罪
    2.1905年11月韓国を日本の保護国で作った罪
    3.1907年精美7条約を強制的に結ぶようにした罪
    4.高宗(コジョン)皇帝を廃位させた罪
    5.軍隊を解散させた罪
    6.罪のない人々を虐殺した罪
    7.韓国人の権利を剥奪した罪
    8.韓国の教科書を燃やした罪
    9.韓国人らを新聞に寄与できなくした罪
    10.(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使った罪
    11.韓国が300万ポンドの借金をするようにした罪
    12.東洋の平和を破った罪
    13.韓国に対する日本の保護政策を糊塗した罪
    14.日本天皇の父親である孝明天皇を殺した罪
    15.日本と世界を欺いた罪

    この他にも安義士は日本検察官、溝淵孝雄が「伊藤は東洋平和に尽くした」と話すと「伊藤が話す東洋平和は大韓帝国と他の国々をだまそうとする悪賢い術策に過ぎない」と逆に叱った。

    このように安重根義士は伊藤博文の罪を一つ一つ指摘して日本帝国主義の蛮行を天下に告発し、彼らの危険性を全世界に知らせようとした。日本をはじめとする帝国主義列強の貪欲により該当内容は大きく注目をされなかったが、「侵略の元凶」伊藤博文を処断した安義士の義挙は彼がどれほど祖国を愛し、独立を念願したかを感じさせる。

    一方、伊藤博文を射殺した容疑で日本の法廷に立った安義士は堂々とした論述と整然とした態度で裁判長と検察官らを敬服させた。しかし、日帝は1910年2月14日、安義士に死刑を宣告し、安義士は一月余り後の3月26日、31才で旅順(麗水(ヨス)順天(スンチョン))監獄の刑場で殉国した。

    キム・ジヒョン記者

    ソース:インサイト(韓国語) 「英雄」安重根義士が明らかにした「侵略元凶」伊藤博文の罪15種類
    http://www.insight.co.kr/news/124388

    引用元: ・【韓国】 「英雄」安重根義士が明らかにした「侵略の元凶」伊藤博文の15の罪~105年間隠されていた義挙の理由[10/26]

    【【伊藤博文を狙撃した】「英雄」安重根義士が明らかにした「侵略元凶」伊藤博文の罪15種類 【インサイト(韓国語) 】】の続きを読む

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