1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/03/13(月) 14:54:04.00 ID:CAP_USER
ある日の夜、私は車を運転していて道に迷った。
(中略:国立日帝強制動員歴史館に至る経緯)
真夜中、道に迷って出会った建物「日帝強制動員歴史館」を再び訪れたのは「ウトロ、残された人々の歌」企画展の広告を見たからだった。日本の「ウトロ」を訪問した記憶がかすかに残っている時だった。その日は迷うこと無く、釜山(プサン)博物館に近い日帝強制動員歴史館に到着した。多少高い地帯に位置しているためか、広報がまだないからか、その日、日帝強制動員歴史館には私の他に館覧客が誰もいなかった。
広い駐車場と一帯が広々と見下ろせる展望、談笑を交わすので本当に良い空間…。一人でその全てを一人占めするの本当に惜しかった。強制徴用に引きずられて行った人々の事情や手紙などを見て回わっていると、それより何より驚いた事件の前でしばらく足が止まった。
朝鮮人7000人余りを乗せた日本海軍輸送船浮島丸が1945年8月24日、原因不明の爆発事故で沈没した事件。日本が降参宣言後、釜山港に向かった船が突然方向を変えて京都府舞鶴港に寄港している間、爆発と共に沈没したが日本人たちは米国が敷いた機雷によって沈没した偶発的な事故と発表した。
しかし、日本の秘密を多く知っている朝鮮人徴用者などを水葬するための彼らの故意的な撃沈という説を後押しする証拠があふれていた。発表された公式死亡者数とは違い、実際の死亡者数は5000人以上という資料も多かった。現在までこの事件に対するどんな調査や補償もないまま、故郷に帰る喜びに浮き立って船に乗った人々は帰ってこられない道に行ってしまったのだ。
「日本、京都には切断された下水道から蚊が沸いて雨でも降ればぬかるんで溝があふれて家の内外が浸水する村があります。1988年に上水道施設が設置されましたが、まだポンプで井戸水を使う家があるウトロの村です。1941年、日本政府が京都軍飛行場建設のために動員した1300人余りの朝鮮人がハンバを中心に集まって住んで形成された村。戦争が終わっても、どんな補償や措置もなしに放置された人々。偏見と差別の中、重労働しか仕事がなく下層民に転落した人々の話。」
企画展展示室の案内板に書かれた説明文を読んで、ウトロの村とその人々の写真を見た。この前、ウトロを訪問して見聞きした記憶が生々しくよみがえった。時間が止まったような場所で生きている彼らに国を失った恥辱と悲しみは終わらないまま続いていた。
相変らず終わらなかった苦痛の中で苦しめられているのは彼らだけではない。慰安婦の場合、日本崩壊後、自分たちの反倫理的行為に対する証拠を消すために日本軍に殺害されたり、軍や事業主に捨てられたりした。帰国した慰安婦もやはり故郷に帰ることができずに他の土地で過去を隠したまま生きていくこともあった。
現在まで正しくなされた補償を受けられないまま生きている慰安婦ハルモニと少女像をめぐる近ごろの様々な事件が重なって頭の中を通り過ぎた。終わらなかった話…、誰もいない空っぽの「国立日帝強制動員歴史館」を出て帰り道、頭の中から離れない考えだった。
ナ・ヨギョン/小説家
ソース:国際新聞(韓国語) [感性タッチ]終わらなかった話/ナ・ヨギョン
http://www.kookje.co.kr/news2011/asp/newsbody.asp?code=1700&key=20170313.22030184746
(中略:国立日帝強制動員歴史館に至る経緯)
真夜中、道に迷って出会った建物「日帝強制動員歴史館」を再び訪れたのは「ウトロ、残された人々の歌」企画展の広告を見たからだった。日本の「ウトロ」を訪問した記憶がかすかに残っている時だった。その日は迷うこと無く、釜山(プサン)博物館に近い日帝強制動員歴史館に到着した。多少高い地帯に位置しているためか、広報がまだないからか、その日、日帝強制動員歴史館には私の他に館覧客が誰もいなかった。
広い駐車場と一帯が広々と見下ろせる展望、談笑を交わすので本当に良い空間…。一人でその全てを一人占めするの本当に惜しかった。強制徴用に引きずられて行った人々の事情や手紙などを見て回わっていると、それより何より驚いた事件の前でしばらく足が止まった。
朝鮮人7000人余りを乗せた日本海軍輸送船浮島丸が1945年8月24日、原因不明の爆発事故で沈没した事件。日本が降参宣言後、釜山港に向かった船が突然方向を変えて京都府舞鶴港に寄港している間、爆発と共に沈没したが日本人たちは米国が敷いた機雷によって沈没した偶発的な事故と発表した。
しかし、日本の秘密を多く知っている朝鮮人徴用者などを水葬するための彼らの故意的な撃沈という説を後押しする証拠があふれていた。発表された公式死亡者数とは違い、実際の死亡者数は5000人以上という資料も多かった。現在までこの事件に対するどんな調査や補償もないまま、故郷に帰る喜びに浮き立って船に乗った人々は帰ってこられない道に行ってしまったのだ。
「日本、京都には切断された下水道から蚊が沸いて雨でも降ればぬかるんで溝があふれて家の内外が浸水する村があります。1988年に上水道施設が設置されましたが、まだポンプで井戸水を使う家があるウトロの村です。1941年、日本政府が京都軍飛行場建設のために動員した1300人余りの朝鮮人がハンバを中心に集まって住んで形成された村。戦争が終わっても、どんな補償や措置もなしに放置された人々。偏見と差別の中、重労働しか仕事がなく下層民に転落した人々の話。」
企画展展示室の案内板に書かれた説明文を読んで、ウトロの村とその人々の写真を見た。この前、ウトロを訪問して見聞きした記憶が生々しくよみがえった。時間が止まったような場所で生きている彼らに国を失った恥辱と悲しみは終わらないまま続いていた。
相変らず終わらなかった苦痛の中で苦しめられているのは彼らだけではない。慰安婦の場合、日本崩壊後、自分たちの反倫理的行為に対する証拠を消すために日本軍に殺害されたり、軍や事業主に捨てられたりした。帰国した慰安婦もやはり故郷に帰ることができずに他の土地で過去を隠したまま生きていくこともあった。
現在まで正しくなされた補償を受けられないまま生きている慰安婦ハルモニと少女像をめぐる近ごろの様々な事件が重なって頭の中を通り過ぎた。終わらなかった話…、誰もいない空っぽの「国立日帝強制動員歴史館」を出て帰り道、頭の中から離れない考えだった。
ナ・ヨギョン/小説家
ソース:国際新聞(韓国語) [感性タッチ]終わらなかった話/ナ・ヨギョン
http://www.kookje.co.kr/news2011/asp/newsbody.asp?code=1700&key=20170313.22030184746
引用元: ・【韓国】 終わらなかった話~日帝強制動員歴史館のウトロ企画展を見に行って、浮島丸事件を知って驚いた[03/12] [無断転載禁止]©2ch.net
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