1: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2015/01/15(木) 23:11:07.97 ID:???.net
ソース(ダイヤモンドオンライン)
(上) http://diamond.jp/articles/-/65035
(下) http://diamond.jp/articles/-/65129
写真=1940年に日独伊三国同盟が締結され、日米の対立は決定的に
2015年は第二次世界大戦が終結して70周年となる。戦争の記憶が薄れていくなか、若い世代は先の大戦とは一体何だったのか、どうして
起こったか、ということを考える環境がなくなっている。そのため、戦争について認識は偏ったものとなっている。
日中関係において、日本はまだ中国に対する戦争を総括しきれていないこともあり、歴史認識が両国関係を発展させるうえで大きな問題と
なっている。過去の戦争の歴史をどうとらえるかは、日本が中国と付き合う上で大変重要なことである。
一方、中国は、習指導部発足後、党史と近現代史を重視する方向となり、9月3日の抗日戦争勝利記念日、12月13日の南京大虐殺記念日が
設けられた。これは、日本の右傾化への牽制の意味もあるが、主として国内に向けたものであると筆者は考える。というのは、現在の中国の
若者も戦争に対する認識はかつてほどではなくなり、あまり関心を持たなくなってきたためである。
戦争の総括は必要である。しかし問題は総括の仕方だと筆者は考える。勝者の歴史ばかりを見て、敗者の歴史を見逃せば、真実を知ることは
できない。
その意味で、12月8日に、中国のポータルサイト「騰訊」の「短史記」コーナーに同サイト歴史チャンネル編集長の諶旭彬氏(歴史学者)が
発表した『日本の極秘文書はいかに第二次大戦を反省したか』と題する文章は、中国人が敗者である日本の側に立って書いた有意義な文章
である。
特筆すべきは、この文章は1951年に日本外務省が吉田茂首相(当時)の指示によってまとめられた「満州事変」から太平洋戦争終結に至る
までの日本外交の致命的失策を徹底的に検討するための文書(この文書は『日本外交の過誤』と称し、外交史料館に所蔵されている。2003年
に公開された)に基づいて書かれており、日本人でもあまり知らない事実が書かれていることである。
■満州事変に端を発する中国侵略が全ての誤りの発端
諶氏の文章は、公開された外交文書に基づいて「満州事変」から太平洋戦争終結に至るまでの日本外交の失策を検討している。それは次の
6つの点にまとめられている。
第一に、満州事変を起こした後、国際社会の非難を跳ね除けて、国際連盟を脱退し、国際社会で孤立すべきではなかったという点。
諶氏は外交文書を引用する形で、「国際連盟脱退は日本の国際的孤立を招き、それは『日本とアメリカ・イギリスとの関係の決裂の始まり』
であり、その後のドイツ・イタリアとの同盟締結の道を開くものであった」と述べており、中国への侵略が全ての誤りの発端であることを示唆した。
日本とは対照的な存在として、当時の日本の仮想敵国であったソ連の例を引いて、「国際連盟に加盟しただけでなく、隣接するヨーロッパの国
と各種の条約を結び、国際的地位を絶えず固めていった」と、当時の日本の外交戦略の欠如を指摘した。
■米国の対日感情を悪化させた三国同盟は百害あって一利なし
第二に、ドイツとの防共協定を結ぶべきではなかったという点。周知のように、日独防共協定は、ソ連共産主義の拡張を牽制するもので
あったが、当時のソ連は急激な拡張政策をとっていたものの、イギリスやフランスなどの利益を犯さなかったために、これらの国が防共協定に
共鳴することがなかった。よって、ドイツとの防共協定は、日本の「孤立感」を和らげたほかは、得るものは何もなかったと、諶氏は文書の分析
を通じて指摘している。
(>>2以降に続く)
(上) http://diamond.jp/articles/-/65035
(下) http://diamond.jp/articles/-/65129
写真=1940年に日独伊三国同盟が締結され、日米の対立は決定的に
2015年は第二次世界大戦が終結して70周年となる。戦争の記憶が薄れていくなか、若い世代は先の大戦とは一体何だったのか、どうして
起こったか、ということを考える環境がなくなっている。そのため、戦争について認識は偏ったものとなっている。
日中関係において、日本はまだ中国に対する戦争を総括しきれていないこともあり、歴史認識が両国関係を発展させるうえで大きな問題と
なっている。過去の戦争の歴史をどうとらえるかは、日本が中国と付き合う上で大変重要なことである。
一方、中国は、習指導部発足後、党史と近現代史を重視する方向となり、9月3日の抗日戦争勝利記念日、12月13日の南京大虐殺記念日が
設けられた。これは、日本の右傾化への牽制の意味もあるが、主として国内に向けたものであると筆者は考える。というのは、現在の中国の
若者も戦争に対する認識はかつてほどではなくなり、あまり関心を持たなくなってきたためである。
戦争の総括は必要である。しかし問題は総括の仕方だと筆者は考える。勝者の歴史ばかりを見て、敗者の歴史を見逃せば、真実を知ることは
できない。
その意味で、12月8日に、中国のポータルサイト「騰訊」の「短史記」コーナーに同サイト歴史チャンネル編集長の諶旭彬氏(歴史学者)が
発表した『日本の極秘文書はいかに第二次大戦を反省したか』と題する文章は、中国人が敗者である日本の側に立って書いた有意義な文章
である。
特筆すべきは、この文章は1951年に日本外務省が吉田茂首相(当時)の指示によってまとめられた「満州事変」から太平洋戦争終結に至る
までの日本外交の致命的失策を徹底的に検討するための文書(この文書は『日本外交の過誤』と称し、外交史料館に所蔵されている。2003年
に公開された)に基づいて書かれており、日本人でもあまり知らない事実が書かれていることである。
■満州事変に端を発する中国侵略が全ての誤りの発端
諶氏の文章は、公開された外交文書に基づいて「満州事変」から太平洋戦争終結に至るまでの日本外交の失策を検討している。それは次の
6つの点にまとめられている。
第一に、満州事変を起こした後、国際社会の非難を跳ね除けて、国際連盟を脱退し、国際社会で孤立すべきではなかったという点。
諶氏は外交文書を引用する形で、「国際連盟脱退は日本の国際的孤立を招き、それは『日本とアメリカ・イギリスとの関係の決裂の始まり』
であり、その後のドイツ・イタリアとの同盟締結の道を開くものであった」と述べており、中国への侵略が全ての誤りの発端であることを示唆した。
日本とは対照的な存在として、当時の日本の仮想敵国であったソ連の例を引いて、「国際連盟に加盟しただけでなく、隣接するヨーロッパの国
と各種の条約を結び、国際的地位を絶えず固めていった」と、当時の日本の外交戦略の欠如を指摘した。
■米国の対日感情を悪化させた三国同盟は百害あって一利なし
第二に、ドイツとの防共協定を結ぶべきではなかったという点。周知のように、日独防共協定は、ソ連共産主義の拡張を牽制するもので
あったが、当時のソ連は急激な拡張政策をとっていたものの、イギリスやフランスなどの利益を犯さなかったために、これらの国が防共協定に
共鳴することがなかった。よって、ドイツとの防共協定は、日本の「孤立感」を和らげたほかは、得るものは何もなかったと、諶氏は文書の分析
を通じて指摘している。
(>>2以降に続く)
引用元: ・【歴史】中国人から見た日本敗戦の「失敗の本質」…日本は第二次大戦をいかに反省したか、中国歴史学者・諶旭彬氏の分析[01/15]
【中共は懲罰戦争を反省したのかw 【歴史】中国人から見た日本敗戦の「失敗の本質」…日本は第二次大戦をいかに反省したか、中国歴史学者・諶旭彬氏の分析[01/15]】の続きを読む