1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/08/22(火) 22:20:34.52 ID:CAP_USER
去る1910年8月22日、ソウル南山(ナムサン)芸場裾(イェジャンチャラク)の統監官邸で大韓帝国総理大臣イ・ワンヨンと日本の第3代統監、寺内正毅が韓日併合条約文書に印鑑を押した。大韓帝国が国権を完全に喪失した庚戌国恥だ。この条約を根拠に35年間の痛恨の日帝強制占領期間が始まる。
日帝は我が国の顔といえる南山の中腹に朝鮮新宮をたて明治日王を祭神として崇拝させた。庚戌国辱現場の南山芸場裾は日帝強制占領期武断統治の前哨基地になり、解放後は中央情報部が入って100年近くたやすく近付けない場所として残っていた。
ソウル市はこのように長い間かくされていた歴史の傷跡を掘り起こして南山芸場裾のうち南山道1.7キロ区間を来年8月まで歴史探訪道としてつなぐと21日明らかにした。探訪道を歩いて辛い国権喪失の現場を記憶し、傷を癒そうという意図で最初から「国辱道」と名づけた。
国辱道は韓日強制併合条約が締結された統監官邸の場所から始まる。1910~1939年には朝鮮総督官邸に使われたところだ。この道は強制併合後、朝鮮総督府が設置されたソウルアニメーションセンターにつながる。
1921年、電気修理工に変装したキム・イクサン義士が潜入して爆弾を投擲した抗日義挙の現場でもある。
日清戦争(1894~1895年)勝利を記念するために日帝がたてた甲午駅記念碑を経て1925年、日帝が作った神社の朝鮮神宮の場所で国辱道は終わる。ジン・ヒソン、ソウル市都市再生本部長は「南山は解放後も中央情報部が位置し、市民が関心を持って訪ねてくることはできない所になった」として「そうするうちに過去、そこで私たちは国を失ったし、日本が植民支配のための施設を設置した事実を知る人は多くない」と話した。
ソウル市は国辱道の各基点に案内板をたてて忘れられつつある歴史を几帳面に広報した。案内板は徳寿宮(トクスグン)近隣にあった国税庁別館の建物を崩す過程で出てきた朝鮮総督府傘下逓信事業会館建物の廃コンクリート柱で作る。歴史の「破片」をリサイクルするという趣旨からだ。
市は来る22日、独立有功者らと国辱の現場を共に歩く歴史探訪行事を行う。
/キム・ミンジョン記者
ソース:ソウル経済、(韓国語) 「国失った恥辱忘れずにおこう」...南山(ナムサン)芸場裾に「国辱道」
http://www.sedaily.com/NewsView/1OJU722G9G
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