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    タグ:北九州大

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/08/03(木) 08:02:03.58 ID:CAP_USER
    最近日本からカカオトークのメッセージを受け取った。中国大連外国語大のキム・ウォルベ教授からだ。北九州大の招きで安重根(アン・ジュングン)義士の特講を終えた彼は、先月28日に軍艦島(端島)を訪ねた。小学校6年生の息子と一緒だ。

    日帝の韓国人徴用現場を息子に見せてあげたかった。彼は訪問前日にインターネットを通じて予約を入れた。韓国の住所も入力した。ちょうど韓国で映画『軍艦島』が公開された直後だった。

    探訪当日、キム教授は青色の名札を手渡された。日本人は緑色だった。その日午前9時、軍艦島行きのクルーズに乗船した人は40人余り、そのうち4人は韓国人だった。

    軍艦島は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産、人類の普遍的価値を認められたという意味だ。ところがなぜ名札の色で国籍を分けなければならないだろうか。

    キム教授は「予想外だった。管理されているような感じ」と話した。キム教授が送ってきた写真50余枚にも目を通した。日本明治時代産業革命の現場を見ることができた。

    軍艦島の近くの高島石炭資料館にあるハングル年表の最後の一節は「1974年1月15日、端島坑閉山。同年4月20日に無人島になって今に至る」。韓国人徴用の事実はどこにもなかった。

    2年前の世界遺産登録当時、関連事実を示すようにとするユネスコ勧告を履行しないでいる日本だ。キム教授は「現場ガイドも日本の近代化だけに触れて、海底1000メートルの中の朝鮮人の悲しみはただの一行も紹介しなかった」と伝えた。

    2日、全国観客動員500万人を超えた映画『軍艦島』の興行には日本の厚顔無恥に対する反感が作用したようだ。映画マーケティングもこの部分を全面に出している。それでも鑑賞後、虚しさを覚えた。

    「アクションの大家」リュ・スンワン監督が急ごしらえした悲劇の現場は極めて表面的だ。スクリーン寡占、反日・親日映画論争は二の次として、全般的な説得力に欠ける。何よりもキャラクターの常套性のためだ。

    スター軍団が出動した『軍艦島』の純製作費は220億ウォン(約21億7000万円)。予算をかけた分は取り返さなくてはならない商業映画の興行要素は理解する。だが、いわゆる地獄島を脱出しようとする彼らの言葉やしぐさがあまりにもいかにもすぎて…。

    歴史に対する過剰被害意識に映った。私たちの中にもう一つの「軍艦島」を作ってしまったかもしれない。日本に手本を見せるにはもう少し注意深くあるべきだった。もう少し深く考えるべきだった。

    パク・ジョンホ/論説委員

    【噴水台】韓国の中の「軍艦島」
    http://japanese.joins.com/article/963/231963.html

    引用元: ・【中央日報】私たちの中にもう一つの「軍艦島」を作ってしまったかもしれない。日本に手本を見せるにはもう少し注意深くあるべきだった [無断転載禁止]©2ch.net

    【【どっちが厚顔無恥なんだか】中央日報「映画『軍艦島』の興行には日本の厚顔無恥に対する反感が作用した」北九州大の招きで安重根義士の特講したキム教授】の続きを読む

    1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/09/07(水) 15:35:18.03 ID:CAP_USER
    満82才のアキヒト(明仁)日王が老化と健康問題でこれ以上、王の役割に耐えがたいという意向を明らかにした。これについて大部分の日本人はあまりにも率直な彼の現実認識と人間性に共感している。一部では日王の生前退位言及を彼の父ヒロヒト(裕仁)が1946年「現人神」から「人間」の位置に降りてきたことに対し、遠回しに言及した第2の‘人間宣言’と評価するほどだ。

    彼はなぜ生きているうちに退こうとするのだろうか。様々な解釈があるが、何より自身の死が産む予測不可能性のためでないかと思う。彼は「天皇が死ねば重い葬儀行事が二カ月間続く」と淡々と話したが、これは本人の死が及ぼす影響をそれだけ憂慮するという意味だ。

    民主共和制の私たちには多少なじみがうすいが、日本で天皇の死は、総理を含む‘一般人’の死とは天と地ほど格が違う。‘象徴天皇’に過ぎないとしても日王の死は日本全体の‘象徴的’死であり、一種のアイデンティティの混乱を招きかねない。

    正確に28年前の1989年1月7日、ヒロヒト日王が死んだ時、日本全域は少なくとも二日以上彼とともに死んだ。テレビは広告はもちろんで歌、ドラマなど‘娯楽行為’を完全に中断した。酒場などの店もシャッターをおろした。かなりのイベントも全部取り消しになった。漆黒のような闇がネオンサインの代わりをした。自粛の雰囲気に圧倒された青年男女は予定された結婚式まで先送りしなければならなかった。

    昭和という時間が終わるとすぐに日本も止まったのだ。明仁は自身の死が父の場合のように陰湿な事態を作れば、時代錯誤的突発状況を作るかもしれないと心配したのだ。明らかに人間的だ。同時にこんなにまで思慮深いとは非常に政治的だ。

    戦後、日本は‘象徴’天皇と共存するほかない自分のアイデンティティを作った。「反省することを知らない日本」は天皇制と切り離そうにも切り離せない。前もって‘A級戦犯’で処断されるべきだった日王が存在する限り、日本は多分、今後も植民地支配問題を正面から眺めることができないだろう。

    一方で戦後日本は天皇制を維持する代償として戦勝国米国に主権的権利を一部渡さなければならなかったし、結局‘不完全な国家’になった。それで日本人たちは認めたくないが、米国こそ‘実質的天皇’という主張も侮れない。もちろんそうしたので日本は‘平和国家’として経済大国を謳歌することができた。

    とにかく「象徴」天皇と「戦争を放棄した」国民国家としての日本は一体である。明仁はこの様な日本、すなわち少なくとも憲法では‘平和国家’を指向してきた日本を象徴しながらその方向で国民を縛る役割を果たしてきた。このために彼自身は徹底して‘模範的な’人生を耐えた。日本国民もこの様な天皇を畏敬して自身を慎んだ。

    これは改憲を通じて戦争できる‘普通国家’を夢見る安倍晋三総理のそれとは根本的にきめが違う。安倍が一種の‘現状打破’を追求するならば、明仁はどうにか現行憲法を通じて皇室と国民の関係、‘伝統’を維持することを願うからだ。この様な脈絡で日王が投げた問題は単純ではない。安倍政権が衆・参両院全体の3分の2以上の改憲議席を確保した中、‘象徴的神’日王が直接老駆を導いて国民に日本は誰かと強く問い直したのだ。

    安倍政権はひとまず特別法制定という迂迴路を通じて天皇の悩みを単純化して弥縫した後に改憲に向かったソロバンの玉をはねる心づもりのようだ。

    だが戦争を放棄した現行憲法が‘象徴’天皇制に代弁される戦後日本の政治構造と表裏一体の関係にある以上、日本版‘歴史論争’を避けることは難しいだろう。この機会に日本人たちが過去の歴史をより真剣に振り返って、日本という国家のアイデンティティ、経営方式を再考する契機にできたら良いと思う。

    李東俊(イ・ドンジュン)北九州大国際関係学科准教授
    http://image.hankookilbo.com/i.aspx?Guid=078b337891ce410aa8b53c6aedb28ad2&Month=DirectUpload&size=640

    ソース:韓国日報(韓国語) [朝を迎えながら]日王が問い直した日本のアイデンティティ
    http://www.hankookilbo.com/v/89d7936488c448f1bf6feaa615a593f6

    引用元: ・【韓国】 日王が問い直した日本のアイデンティティ~李東俊・北九州大准教授「日王が存在する限り、植民地問題は解決できない」[09/06] [無断転載禁止]©2ch.net

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