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    タグ:南京事件

    1: らむちゃん ★ 2017/12/13(水) 19:59:03.68 ID:CAP_USER
    産経ニュース2017.12.13 11:02更新
    http://www.sankei.com/world/news/171213/wor1712130015-n1.html

     【南京=河崎真澄】日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から80年を迎えた13日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で午前10時(日本時間同11時)に追悼式典が始まった。同式典には3年ぶりに習近平国家主席が出席した。中国中央テレビ(CCTV)などが報じた。

     13日の追悼式典に関し産経新聞は、規定通り中国外務省に取材の申請を行ったが、会場への立ち入りが認められる記者証の発給を拒否された。これに対し同省は、「共産党中央宣伝部の指示に従った」と回答。一方で、党中央宣伝部からの説明は得られなかった。

     中国は2014年に南京事件の12月13日を「国家哀悼日」に格上げ。この年に初めて習氏が出席した。

     今年は事件から80周年という“節目”の年にあたるほか、「強国」建設を掲げた10月の共産党大会を経て習指導部が2期目に入ったタイミング。「抗日戦への勝利」を改めて強調することで、共産党の中国統治を一方的に正当化するとともに、国内からの求心力を高める狙いがありそうだ。

    引用元: ・【中国】「南京事件」から80年 中国当局が産経新聞の追悼式典取材を拒否

    【【マスゴミ関係のみなさーん】中国当局が産経新聞の南京事件追悼式典取材を拒否 】の続きを読む

    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★@無断転載は禁止 2017/09/27(水) 19:05:56.52 ID:CAP_USER
    中国側が「犠牲者30万人以上」と主張する南京事件(昭和12年12月)から1カ月弱の時期に撮られた中国国民党の放送・通信施設や市内の写真が残されている。東京裁判は、日本軍の占領後1カ月~6週間にわたって多数の強姦(ごうかん)事件や放火などが続いたとしたが、写真には平穏な街や市民が写っており、混乱は見えない。(喜多由浩)

                      ◇

     写真を撮ったのは、満州電信電話の技術者だった杉山友勝さん(昭和62年、81歳で死去)。メモによれば、13年元旦から関東軍の指示で上海・南京地区の通信施設の防空設備視察のために同僚3人と出張。南京へは陥落(12年12月13日)から1カ月弱の13年1月7~10日に訪れている。

     同社は日本と満州国が出資して8年に設立された通信と放送の国策会社で、杉山さんらの出張は、日中戦争発生後に「北支、中支、南支に社員を派遣した」という、18年発行の同社十年史の記述とも一致する。

     写真は、中国・国民党軍が南京退却時に残していった放送スタジオ「中央党部内演奏所」や北極閣(気象天文台)の地下に置かれていた「軍通信司令部」など放送・通信施設を中心に撮影。また、欧米人が国際委員会を組織し南京市民が避難した安全区(難民区)内や同地区以外の城内、城外の街や市民の様子を写したものなど数十枚に及ぶ。

     いわゆる“大虐殺派”が根拠にした欧米人による日本軍残虐行為の「証言」は陥落後1週間前後に集中しているが、東京裁判判決などは、それが「1カ月~6週間も続いた」とした。

    だが、写真を見る限り、街や市民は平穏を取り戻した様子で混乱はうかがえない。陥落から数カ月過ぎても「3万体の死体が横たわっていた」などとされた揚子江岸の下関(シャーカン)付近を撮った写真は閑散としているし、城壁の上から城内を撮った写真も放火が続発しているように見えない。

     南京事件問題研究家の阿羅(あら)健一さんは、「写真を見る限り、平穏、閑散としており、東京裁判判決や欧米人の証言にあった『死体がごろごろあった』『放火、略奪、強姦が続いていた』様子には見えない」という。

     一方、亜細亜大の東中野修道教授は「あくまで一部を撮った写真で、全体の様子を知るのは難しいのではないか。ただ『清野(せいや)作戦』と称して国民党軍が破壊していった放送・通信施設を撮った写真は他にはなく、極めて貴重な資料だ」と話している。

                      ◇

     【用語解説】南京事件についての東京裁判判決

     日本兵によるさまざまな虐殺行為があり、全市内で殺人、強姦、略奪、放火が行われた、とし、占領後最初の1カ月間に2万の強姦事件が市内で発生、商業施設、一般人の住宅への放火は6週間も続き、全市の約3分の1が破壊されたとしている。日本軍が占領してから最初の6週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は20万以上、としている。

    2017.9.27 10:29
    http://www.sankei.com/column/news/170927/clm1709270008-n1.html

    no title

    放送スタジオ「中央党部内演奏所」(提供写真)

    no title

    城壁から南京市内(城内)を撮ったとみられる写真。放火が続き、混乱しているようには見えない

    https://i.imgur.com/hcrT8Zf.jpg
    揚子江岸の下関付近。「数カ月たっても死体が山積み」という証言とは裏腹に閑散としている(提供写真)

    引用元: ・【中国側が主張する南京事件】1カ月後の姿を写した写真 平穏な市内…混乱続いたとする東京裁判と矛盾[9/27] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【だって嘘だから】中国側が主張する南京事件 「証言」と矛盾する写真(写真)】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/08/29(火) 23:52:57.39 ID:CAP_USER
    戦後70年の2015年は、中国と韓国を先頭にして、日本への攻撃を仕掛けた「歴史戦」が1つのピークを迎えた年であった。日本はこれに5連敗するという無残な結果となった。その中身は次の通りだ。

    (1)15年3月、安倍晋三首相は訪米前に米紙ワシントン・ポストのインタビューを受け、「日本の慰安婦は human traffickingの犠牲者である」と認めてしまった。

    「trafficking」は密貿易の犯罪を意味し、「human」が付いているので、密貿易の対象となる商品は人間そのものとなる。だから、「human trafficking」とは奴隷貿易のことなのだ。「これでは『慰安婦=奴隷説』を認めることになる」と私は夕刊フジにも論説を書き警鐘を鳴らしたが、安倍首相の耳には届かなかったようだ。

    (2)同年7月、「明治期日本の産業遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録された。その際、外務省は韓国政府の横ヤリに屈服して、徴用工として炭鉱で働いた朝鮮半島出身者の状態を「強制労働」であったと言わされてしまった。

    「forced labor」(強制労働)という原文を「forced to work」(働かされた)という表現に変えたという言い訳も、「force」が人間の自由意思に対する強制の意味である以上、成立しない。ここから歴史捏造(ねつぞう)の新ネタ「徴用工問題」が立ち上がり、今日に至っていることは、ご承知の通りである。

    (3)同年8月14日、「戦後70年安倍首相談話」が発表された。この中で満州事変以後、日本が世界の秩序を乱す「挑戦者」となったという歴史観を展開した。東京裁判史観の論理そのものであった。

    (4)同年10月、ユネスコの「世界の記憶」に、中国政府が提出した「Nanking Massacre」(南京事件)が登録された。だが、約12件の申請資料は捏造写真や虐殺と無関係のデタラメばかりで、公表すらされていない。

    (5)同年12月28日、慰安婦問題をめぐる「日韓合意」。英文では、「immeasurable and painful experiences」(計測不能な苦痛の体験)、「incurable physical and psychological wounds」(治癒不能の身体的・精神的な傷)と書かれている。

    これでは「慰安婦=性奴隷」説にピッタリの事実描写であり、国際社会はついに日本政府に認めさせたと大喜びした。

    この屈辱から1年半。どっこい日本人は黙っていなかった。以下、「反撃する日本」の一端をリポートする。

    ■藤岡信勝(ふじおか・のぶかつ) 1943年北海道生まれ。北海道大学大学院博士課程単位取得。北海道教育大学助教授、東京大学教授、拓殖大学教授を歴任。現在、拓殖大学客員教授。95年、教室からの歴史教育の改革を目指す自由主義史観研究会を組織。97年、「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加し、現在同会副会長。
    著書・共著は『国難の日本史』(ビジネス社)、『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』(勉誠出版)など多数。

    http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170829/soc1708290017-n1.html
    http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170829/soc1708290017-n2.html

    引用元: ・【藤岡信勝】中韓がしかけた「歴史戦」日本5連敗の屈辱 慰安婦、徴用工、南京事件…[8/29] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【日本の最大の敵は日本に居るからな】中韓がしかけた「歴史戦」日本5連敗の屈辱 慰安婦、徴用工、南京事件…】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2016/10/19(水) 18:11:18.50 ID:CAP_USER
     昨年10月、日本テレビ系で放送された「南京事件 兵士たちの遺言」。元日本軍兵士の証言や当時の日記など「一次資料」を読み解きながら「南京事件」に迫った番組だ。そこで取り上げられた「写真」は真実を伝えているのだろうか-。 (原川貴郎)

                       ◇

     「一枚の写真があります。防寒着姿で倒れている多くの人々。これは南京陥落後の中国で、日本人が入手した写真といわれています。果たして南京で撮られたものなのでしょうか」

     女性ナレーターの説明とともに、川岸に横たわる人々の写真が画面いっぱいに映し出される。昨年10月、日本テレビ系で放送された「NNNドキュメント’15 シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言」の冒頭の一コマだ。番組は昭和12年12月の南京攻略戦に参加した歩兵第103旅団に属した元兵士らが書き残した日記に焦点を当てながら進行した。

     山砲兵19連隊の元上等兵の日記からは次の部分が読み上げられた。

     「途中、敗残兵を一千八百名以上捕虜にし其の他沢山の正規兵で合計五千人の敗残兵を捕虜にした」(12月14日)

     「捕虜セシ支那兵ノ一部五千名ヲ揚子江ノ沿岸ニ連レ出シ機関銃ヲ以テ射殺ス、其ノ后銃剣ニテ思フ存分ニ突刺ス」(12月16日)

     直後にはこんなナレーションが挿入された。

     「投降した捕虜を殺害することは国際法で禁じられていました」

     番組は最後に実際の南京の揚子江岸から見える山並みと写真の背景の山の形状が似ていることを示した。南京陥落後、旧日本軍が国際法に違反して捕虜を“虐殺”。元兵士の日記の記述と川岸の人々の写真がそれを裏付けている-そんな印象を与えて終わった。

     番組は今年6月、優秀な番組を顕彰するギャラクシー賞(特定非営利活動法人「放送批評懇談会」主催)の2015年度優秀賞(テレビ部門)を受賞した。だが、果たしてこれが南京陥落後の実相なのだろうか。

     ◆毎日新聞では「読者提供写真」

     中華民国が残した記録を中国政府は中国第二歴史●案館(南京)に保管している。日中戦争の中国側の資料集の一つ『抗日戦争正面戦場』(江蘇古籍出版社・1987年8月第1版)は日本軍の進撃を受け、南京から揚子江を渡って逃れようとする中国兵らの状況を具体的に記録している。

     「秩序はなくなり、少ない船にも殺到し、銃が発射された。渡河中の船を狙って発砲する者もおり、破壊され水没する船も出た。多くの荷物を積み込み、沈没する船もあった」(陸軍78軍南京会戦詳報)

     「10万の大軍が揚子江の河畔に集まったのに渡河の準備が不十分であった。やむなく筏(いかだ)にしたが溺死するものが多かった」(憲兵司令部戦闘詳細報告)

     数少ない船を奪い合った末の同士打ちや多くの溺死者があったことが中国側の公式資料から分かる。日本軍による「大虐殺」があったとの記述は一切ない。静岡県立大名誉教授の高木桂蔵はこう指摘する。

     「中国共産党政権側の南京にある中国第二歴史●案館が出した公文書であるにもかかわらず、そのどこにも『南京虐殺』は出てこないばかりか、撤退する中国軍の惨状が描かれている。『南京』をめぐる中国共産党のデマとプロパガンダを示すものだ」

     番組を手がけた日本テレビ記者の清水潔は、8月に出版した『「南京事件」を調査せよ』(文芸春秋)で、写真は「戦時中にある日本人が中国で入手したというものだ」と説明した。

     だが、この写真は昭和63年12月12日、毎日新聞(夕刊、大阪版)がすでに掲載していた。読者の提供写真だったという。

     記事は「南京大虐殺、証拠の写真」との見出しで南京留学中の日本人学生が写真の背景と同じ山並みを現地で確認したとした。

    http://www.sankei.com/world/news/161019/wor1610190014-n1.html

    >>2以降に続く)

    no title

    「南京大虐殺記念館」にある「平和の鐘」。奥には犠牲者30万人の文字が見える=4月、中国江蘇省南京(原川貴郎撮影)

    引用元: ・【歴史戦】「虐殺」写真に裏付けなし 同士討ちの可能性は触れず 日テレ系番組「南京事件」検証[10/19] [無断転載禁止]©2ch.net

    【【日テレのプロパガンダ 】日テレ系番組「南京事件」、裏付けない「虐殺」写真 同士討ちの可能性は触れず】の続きを読む

    1: ちゃとら ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/08/31(水) 14:08:48.44 ID:CAP_USER
     中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英した際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛した英国人記者が、
    所属していたとされる英新聞社に在職記録はなく、中国側が「日本の残虐行為だ」と主張する「南京事件」の現場にもいなかったことが30日までに明らかになった。

     習氏がエリザベス女王主催の公式晩餐会で取り上げたのは英国人のジョージ・ホッグ氏。
    「第二次大戦の際、記者として侵略者日本の残虐行為を暴く記事を発表した」と紹介した。

     中国は2008年にドイツなどと合作で、ホッグ氏を主人公にした映画『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』を制作した。
    この中でホッグ氏は赤十字職員と偽って南京に入り、中国市民を殺害する日本兵を写真撮影。日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられる。

     しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言した。

    中国側が主張する「南京事件」は日本軍が南京を占領した37年12月13日から6週間程度。2月に上海入りしたホッグ氏が目撃するのは不可能だったというわけだ。

     ホッグ氏は大学卒業後、英紙マンチェスター・ガーディアンやAP通信の記者を務めたとされている。
    ところが、産経新聞が後継紙である英紙ガーディアンに問い合わせたところ、ホッグ氏の署名記事はもちろん、在職記録もなかった。

     AP通信やUPI通信には署名記事はあったが、紀行文などで、「日本軍の虐殺行為を暴いた」という署名記事は見つからなかった。

     マクマナス氏の著書などによると、ホッグ氏は上海入りした後、湖北省黄石市に移り、孤児施設で教師を務めた。
    中国の国民党政府軍が孤児たちを徴兵しようとしたため44年11月、孤児60人を連れてモンゴル国境に近い甘粛省山丹まで移動。戦火から子供たちを守った「中国版シンドラー」と評されている。

     45年8月24日付のマンチェスター・ガーディアンによると、ホッグ氏は同年7月に破傷風で病死した。
    ホッグ氏の両親からの依頼で死因を調べた在重慶英国領事館から英外務省に宛てた46年1月9日付公文書(英国立公文書館所蔵FO369/3426)は
    「ホッグ氏が校長を務めた山丹の学校教育が中国で最も素晴らしい教育の一つで、ホッグ氏が誠実に天職(教師)に尽くし、協同組合活動の指導者として修練を重ねる極めて良質な人物」と記している。

    http://www.sankei.com/world/news/160831/wor1608310007-n1.html?view=pc

    引用元: ・【中国】習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者 「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし ©2ch.net

    【【中国】習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者 「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし ©2ch.net 】の続きを読む

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