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    1: まるっとニュー 2019/11/29(金) 10:30:34.25 ID:CAP_USER
    (写真)
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    ▲ 日本製品不買運動のパフォーマンス
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    先月、日本のビールの韓国輸出額が1年前に比べて99%以上減少したと集計された中、6か月目に差し掛かった日本製品不買運動が依然として効果的に進行中という分析が出ました。

    日本製品不買運動をいち早く開始した韓国マート協会のキム・ソンミン会長は今日(29日)、tbsの『キム・オジュンのニュース工場』とのインタビューで、「消費者は日本製品の代わりに国産や他国の製品を使い、マートは代替品を備えている」とし、「日本製品不買運動が一つの文化として定着したようだ」と明らかにしました。

    キム会長はビールだけではなく飲み物やタバコ、洗剤など、全般にわたって日本製品の販売量が大幅に減少したと付け加えました。

    かつて日本製品の在庫を売るためにセールを行い、叱咤を受けた大手流通マートも今は店内ので在庫を一掃した状態であると説明しました。

    キム会長は、「植民地時代を思いながら、韓国を蔑視する日本政府に送った我が国民の初の警告だ」とし、「日本が経済貿易報復を撤回して歴史を反省するまで、不買運動を持続するだろう」と強調しました。

    ソース:tbs交通放送(韓国語)
    http://www.tbs.seoul.kr/news/bunya.do?method=daum_html2&typ_800=1&seq_800=10367704

    引用元: ・【韓国】マート協会、「日本製品不買運動は一つの文化として定着」[11/29]

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    1: まるっとニュー 2019/09/22(日) 22:07:42.93 ID:CAP_USER
    奇怪な対馬韓国領説/最初は韓国人も相手せず

    日本安全保障戦略研究所研究員 藤井 賢二
     対馬は韓国領と主張する奇怪な運動がある。今年6月19日に韓国慶尚南道の昌原(チャンウォン)市で開催された第15回「対馬の日」記念式で主催者は、「対馬は数多くの歴史資料で朝鮮の領土と記録されている地」であり、「今後も対島が我が地であることを確認する多くの記念事業を推進して市民の歴史意識鼓吹(こすい)に最善を尽くす」と述べた(6月20日付「ニュース慶南」電子版)。


     1948年8月に韓国政府が成立した時、李(イ)承晩(スンマン)大統領は声明で対馬「返還」を求めた。日本人の衝撃は大きく、「同島の住民が動揺し、荷物をまとめて逃げ帰る傾向が顕著であった」という(同年10月22日付「連絡調整中央委員会第35回幹事会議事趣旨」)。この動きに対応して米国は50年3月に報告書「韓国の最近の対馬要求」を作成した。報告書には、朝鮮が対馬を管理してきた事実はなく、一方、「日本が少なくとも350年間完全で有効な管理を対馬で行ってきたことは疑いの余地はない」と記されていた。

     51年7月9日、韓国は対馬を自国領とすることを講和条約に記すよう米国に要求したが拒絶され、同月19日に撤回した。同年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する朝鮮に属する島に対馬は入らず、対馬は日本領に残された。対馬は韓国領という主張に根拠はない。なお、韓国は対馬への要求を撤回すると同時に、今度は竹島が朝鮮領であることを講和条約に記すことを米国に要求した。米国がこの要求を「ラスク書簡」で拒否したことはよく知られている。

     李承晩よりも前に対馬を要求したのが、日本の朝鮮統治終了2カ月後の45年10月15日付の鄭(チ ン)文基(ムンギ)による「対馬島(テマド)の朝鮮所属と東洋平和の永続性」である。そこでは、倭寇(わこう)掃討を目的とした1419年の李氏朝鮮の対馬攻撃など「根拠」が述べられ、朝鮮沿岸の漁業資源を枯渇させる日本人漁業者の根拠地であって、日本の朝鮮に対する「陰謀策動」の基地である対馬の「奪還」が主張された。

     鄭文基は1898年に全羅南道順天に生まれ、旧制松山高校を経て東京帝国大学農学部水産学科で学び、卒業後は朝鮮総督府に入り水産試験場などで勤務した。植民地朝鮮のエリートであった。

     1977年12月10日付「韓国日報」掲載の回顧録によれば、45年9月発表の「降伏後に於ける米国の初期の対日方針」を新聞で読んだ鄭文基は、日本の領土は北海道、本州、四国、九州に局限され、対馬はそこから抜け落ちると判断したという。しかし、対馬の帰属を決めたのはサンフランシスコ平和条約であり、彼の判断は誤りである。

     77年12月11、13日付『韓国日報』で鄭文基は、対馬「奪還」の訴えに当時の有力者たちはことごとく無関心だった、48年の李承晩大統領の声明もあまりに遅すぎたと不満を記した。一方で、「我々が対馬島の領有権を主張して日本が独島問題を提起することができないよう、最小限の牽制(けんせい)の口実となる」と、対馬返還要求を意義付けた。2005年の馬山(マサン)市(現在の昌原市)による「対馬の日」制定は、島根県の「竹島の日」条例制定に反発したものであった。日本の竹島問題提起への牽制策という鄭文基の意義付けは現在も生きている。

     鄭文基の対馬「奪還」要求については「いささか感情的とも思われるような対日強硬策」(竹国友康『ハモの旅、メンタイの夢―日韓さかな交流史-』)という評価があるが、私は彼なりの計算を感じる。そして、最初は李承晩でさえ「上の空」で「何の反応もなかった」と鄭文基が嘆いた荒唐無稽な対馬要求が、あたかも根拠があるかのように韓国人の間にいつの間にか定着することを、警戒する必要がある。


     …………………………
     ふじい・けんじ 島根県吉賀町出身。同県竹島問題研究会研究委員。最近の論考に「対日講和条約と竹島」(『島嶼(とうしょ)研究ジャーナル』8巻2号)がある。
    http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1569118808227/

    引用元: ・【国際】韓国「対島が我が地であることを確認する多くの記念事業を推進する」…奇怪な対馬韓国領説、韓国人の間で定着に警戒[9/22]

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん 2019/02/01(金) 18:56:08.01 ID:CAP_USER
    長崎県対馬市は30日、2018年の韓国人観光客数が40万9882人(前年比約5万4千人増)と、初めて40万人の大台を超えたと明らかにした。過去最多記録の更新は7年連続。市は「『安くて近い外国』として対馬人気が定着した。昨年は旅客船の新規就航があったことが増加要因だろう」と分析している。
     韓国・釜山-対馬(比田勝、厳原)航路で旅客船の定期運航が始まったのは、2000年。韓国の船会社が参入し、当初の韓国人観光客数は年間7千人台だったが、自然美を楽しむ韓国人の嗜好(しこう)が対馬とマッチしたことや、06年の短期滞在ビザの免除などを背景に利用者が年々増加。11年の東日本大震災で一時減少したものの、日韓の船会社の新規参入で同年末に3社体制となってからは右肩上がりに転じ、15年に20万人台を突破した。
     18年は2月から釜山の船会社が高速船の定期運航を始めたほか、11月からは対馬の船会社がフェリーの不定期運航を開始。このほか、既存の船会社で分社化の動きもあり、現在は日韓の6社体制となっている。
     また、市は韓国人観光客による島内消費額を5年ごとに試算しており、17年の韓国人観光客による島内消費額は計79億4100万円(前回比46億1千万円増)だったと発表。同年来島した韓国人観光客は約35万6千人(日帰り約17万4千人、宿泊約18万2千人)で、化粧品や医薬品などの土産品の購入費が51億4800万円と最多だった。
     前回調査の12年は、約15万人が来島し、島内消費額は計33億3100万円だった。
     比田勝尚喜市長は同日の記者会見で「ハード・ソフト両面の整備を図り、20年には50万人台の韓国人誘客を目指したい」と話した。

    https://this.kiji.is/463885182293197921?c=39546741839462401
    ©株式会社長崎新聞社 2019/2/1 11:11

    引用元: ・【対馬市長】「20年には50万人台の誘客目指したい」対馬の韓国客 初の40万人超「安くて近い外国」定着 2018年分 7年連続最多更新[2/1]

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/08/18(土) 20:47:03.00 ID:CAP_USER
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    ▲当時、米国で人気だったマグワイヤ・シスターズともスタイルが似ていたイ・シスターズ(左)
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    ▲ベク・ウクイン著『翻案社会-帝国と植民地の翻案が作った近代の制度、毎日、文化』(記者注:本記事は内容的に書籍『翻案社会』の紹介と考えられるが、どこにも書名がないので、別ソース、ハンギョレ新聞の画像を用いた)

    目新しいことではないが、韓国の近代は「植民地近代」から始まった。日本帝国主義によって強占された韓国は、日本を通じて西欧の近代文物を受け入れた。芸術だけでなく、言語、技術、学問、宗教など各分野の植民地的近代性に、「翻案」というキーワードを使って光を当てた。

    「翻案」は、もともと特定ジャンルの作品を違うジャンルの作品に変えたり、背景や人物を変えて現実に合った形を取る作業を意味する。ソウル科学技術大学・基礎教育学部教授の著者は、翻案を芸術作品だけでなく、社会の変革期に外部から流入した文化を受容者の事情に合わせることを指す言葉として幅広く使っている。その脈略から、翻案は小麦粉、ファッション、ゴム靴、帽子、住宅、ラジオ、大衆美術、漫画、遊興業など日常の中の文化全般にわたって起きた。

    私たちが今使っている近代語は、この記事に使われた単語にも日本語の「翻案」の跡は数多くある。日本は明治維新以降、西洋の近代思想を翻訳するための概念語を作る作業に拍車をかけた。そして私たちは、日本が翻訳した概念語を、再び朝鮮の言葉に翻訳する「重訳」を通じて西洋文物を受け入れた。それは薬でもあれば毒でもあった。「翻訳の苦痛」を素通りした代償で話し言葉と書き言葉との距離がさらに広がり、漢字語はさらに増えた。

    1960年代の産業化の中でも「翻案」は続いた。今も調味料の代名詞のように使われている「ミウォン(味元)」は、植民地時代に移植された日本の調味料「味の素」が産業化時代に韓国企業の手によって再度移植されたものだ。企業各社は、1930年代に味の素が朝鮮で展開した広告方式を真似て商標のデザインや容器を採用した。

    このような「植民地的近代性」を単なる清算の対象と思われては困る。「トンカツ」も、最初は日本が「翻案」した西洋料理で、1930年代に朝鮮に普及し始めた料理だ。今や、トンカツは日常の中の私たちの料理として幅広く愛されている。著者は、「発祥が西洋だろうが日本だろうが関係ない。しかし、トンカツの発祥を確認し、変形の意味に気づき、その背景と今後変えていこうとする形態を模索することが重要だ」と書いた。トンカツだけでなく、他の分野も同じことだろう。

    模倣から、独創性も生まれる。日本の歌手、坂本九が1961年に発表した「上を向いて歩こう」は、米国に渡って「スキヤキ」というタイトルで1963年にビルボードチャート1位になる気炎を吐いた。韓国では1964年に「イ・シスターズ」が「上を見て歩こう」というタイトルで紹介した。著者は、「当時、米国で人気だったマグワイヤ・シスターズともスタイルが似ていたイ・シスターズの翻案歌謡レコードは、ジャズ演奏と編曲が大変優れ、歌詞の翻訳もユニークだとの評価を受けた」と紹介した。

    趙鍾燁

    ソース:東亜日報日本語版<調味料、トンカツ…日常に定着した「翻案」された近代化>
    http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1430516/1

    引用元: ・【書籍】 日本語の調味料、トンカツ…韓国の日常に定着した「翻案」された近代化~ベク・ウクイン著『翻案社会』[08/18]

    【パクりを 正当化してる(°Д°) 【書籍】 日本語の調味料、トンカツ…韓国の日常に定着した「翻案」された近代化~ベク・ウクイン著『翻案社会』[08/18] 】の続きを読む

    1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2016/02/17(水) 08:40:06.99 ID:CAP_USER.net
    2016年2月17日05時00分

     韓流ドラマはもう終わった、と思っている人が少なくないかもしれません。確かに、地上波からはほとんど姿を消しました。でも地方局や衛星放送では、あちこちで楽しめます。

     今、ファンは、有料の衛星放送で最新ドラマを視聴する能動的な人たちと、BSや地方局で流れる、やや古いドラマを見る受動的な層に分かれます。バブルははじけましたが、ジャンルとして定着したと言えます。

     韓流ドラマ専門のライターとなり15年目で、草分けと自負しています。毎週金曜、CSの専門チャンネルなど10局ほどの録画予約を1週間分セットします。20作品くらいでしょうか。テレビは2台ありますが、本体の録画がいっぱいになってしまうので、2日に1回はディスクに焼き直します。本国で話題のドラマや俳優の最新情報は、ツイッターでチェックします。

     ドラマ評を書くため、じっくり見ないといけないもの以外は倍速で見ます。俳優さん、ごめんなさい。ファンから何を聞かれるか分からないので、ともかく目を通したい。日本のテレビ? 朝と昼のワイドショーだけです。

     韓流ドラマは、私の人生を変えました。1988年、ソウル五輪のころ、短大を出て成田空港の免税店で働いてました。お得意さんは、韓国人のおじさんばかり。おそろいのブレザーを着て髪は刈り上げ。「いいな」と思った人は1人もいませんでした。

     それから9年ほど、サッカーを見ようと入った衛星放送で「星に願いを」の俳優アン・ジェウクに出会いました。前髪を垂らしたすてきな男性。平凡な主婦だった私は、恋に落ちてしまいました。まだ日本語字幕付きは少なく、カルチャースクールで韓国語を学びました。99年から韓国ドラマのファンサイトをネット上で始めました。やがて「冬のソナタ」で「ヨン様」ブームが爆発。サイトを見た編集者から原稿依頼が来るようになったのです。

     昨年、ペ・ヨンジュンの結婚に日本のファンは大騒ぎでした。彼への恋が続いているというより、自分の世界を変えてくれた人への敬意の表れです。ヨン様を知る前、少なからぬおばさまたちが、隣国に行ったら日本人は石を投げられるかも、と思い込んでいた。私も韓国人のイメージは、テレビで日の丸を燃やしていた姿ですから。

     ドラマの魅力は語り尽くせません。清潔感あふれる俳優はもちろん、嫁としゅうとめの確執、家柄の違いなど家族が前面に出ます。くさい演出も韓流だから許されます。テレビは楽しむためにあるもの。それを正直にやっているのが韓流ドラマです。(聞き手・桜井泉)

         *

     あべゆうこ 韓流エンターテインメント・ライター 1967年生まれ。これまでに1200余りの韓流ドラマを見た。雑誌を中心に執筆、ロケ地ツアーのアドバイザーなども。訪韓は100回以上

    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12212167.html?rm=149

    引用元: ・【朝日新聞】韓流ドラマは日本にジャンルとして定着した 韓流ドラマの魅力は語りつくせない

    【言えば言うほど嫌われる【朝日新聞】韓流ドラマは日本にジャンルとして定着した 韓流ドラマの魅力は語りつくせない】の続きを読む

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