1: まるっとニュー 2020/04/11(土) 19:45:16.33 ID:CAP_USER
日中2つの超大国に挟まれた国の末路

中国に隣接する朝鮮半島は、常に大陸からのプレッシャーにさらされる歴史をたどってきました。それにもかかわらず、強大な中国に呑み込まれず、自分たちのアイデンティティを保ってきたことは、奇跡的とも言えます。逆に言えば、生き残るためにはきれいごとを言ってはいられず、いろいろな手を尽くしてきました。長年にわたり、その歴史が刷り込まれているのが現在の北朝鮮・韓国だということです。そこを理解せず、現在の両国だけを見ていると、判断を誤るかもしれません。

理解できそうでできない隣国・韓国

1392年に建国され、日本に併合されるまで約500年続いた朝鮮王朝も、建国当初から中国の明朝と深いつながりがありました。中国に呑み込まれることは避けたい。しかし、自分たちの力量もよくわかっているので、下手な抵抗をしても無駄である。そこで、明朝中国の秩序体系をいわば丸ごと受け入れ、その中で自己主張をしていく形を早くから取るようになります。

明朝の対外秩序とは、どのようなものだったのか。まず周辺の国々は、儒教の中心学派である朱子学に基づき、明朝の皇帝を天下の中心たる中華に君臨する天子と見なします。そのため明朝皇帝に対する服属のあかしとして、その地の産物を貢ぎ物として天子のもとに持参(朝貢)し臣礼をとる、明朝皇帝は返礼としてその国の君長たることを認可する、というコンセプト・パフォーマンスです。

朝鮮王朝は、以上を受け入れ、明朝に対して朝貢関係を結びました。この関係を、大国に事(つか)えるという意味で「事大」と呼びます。さらに朝鮮王朝は朱子学を国家イデオロギーとし、明朝の官僚システムを積極的に取り入れました。そうすることで、自分たちを「小中華」、すなわち中国に次ぐナンバー2、日本などその他の周辺国を野蛮な「夷狄(いてき)」と見なしたのです。ただし、明朝は朝鮮を含めた周辺国をすべて同列の朝貢国と見なしていました。そのため、朝鮮は日本などを内心では見下しながらも、表向きは対等に交わる関係「交隣」を続けました。

三国間のパワーバランスが変わる

朝鮮はこうした独自の対外関係を築いていましたが、16世紀後半、日本が急速な経済成長と国内統一を果たしたことによって、三国間のパワーバランスが変わります。元寇の際は一方的に攻められて反撃できなかった日本が、その後約300年を経て強国化し、豊臣秀吉が朝鮮出兵に打って出ました。これを機に朝鮮は、日本を「何を考えているかわからない、暴力的な脅威」と認識すると同時に、「中国に守ってもらおう」という意識が強くなります。

(省略)

なぜ文大統領は天皇に意見するのか
こうした外交史は、現在の朝鮮半島に何を及ぼしているのでしょうか。

文在寅第19代韓国大統領。進歩派で、北朝鮮に対しては融和路線を貫くが、日本に対して強硬姿勢が目立つ。

(省略)

韓国の文在寅大統領が元徴用工問題で「日本は謙虚になるべき」と発言したり、天皇に意見したりするのは、日本を下に見ているからこそできることであり、これも王朝時代の世界観・対日観そのままです。こうした見方は文大統領に限ったことではなく、韓国のエリート層に共通しています。その理由として植民地化に対する反発を指摘する人がいますが、実は何百年も前から続いてきたことなのです。

「小中華」である彼らから見れば、日本もアメリカも野蛮です。逆に中国に対しては、いろいろひどい扱いを受けても文句を言わずに従う傾向があります。それは、中国を好きだというわけではありません。かつての清朝に対してそうだったように、面従腹背ということです。現在の韓国が好きなのは北朝鮮です。それは民族意識とも言えますが、むしろ歴史的な「小中華」思想の表れとみたほうがよいでしょう。

外交史を振り返ってみると、現在の韓国が取っている態度・行動は、基本的に過去から変わっていないということがよくわかります。それはこの先も、大きく変わりそうもないので、以上のような歴史は、今後の東アジア情勢を見るうえで、有力な手がかりになるのではないでしょうか。

岡本 隆司(おかもと・たかし)
京都府立大学教授

https://article.auone.jp/detail/1/4/8/114_8_r_20200411_1586571832296619

引用元: ・【小中華】「わが国は小中華」韓国が日本をずっと下に見続け恨む理由 [4/11]

【能力もないのに、妬み嫉みだけ】の続きを読む