1: 雨宮◆3.yw7TdDMs 2016/03/11(金)18:54:38 ID:YQp
ヘイトスピーチは命の問題~    林田英明

在日韓国人3世のピアニスト、崔善愛(チェ・ソンエ)さん(56)の語りと演奏は、
心に真っすぐ入ってくる。だが、心の内奥は平穏ではなかった。

 善愛さんにとって崔昌華(チォエ・チャンホァ)さんは父にあたる。
朝鮮戦争の惨禍から逃れるべく日本に渡ってきた。だから善愛さんは、
生まれも育ちも日本である。

21歳の時、善愛さんは父や妹らと指紋押捺拒否を実行する。
誰にでも分かる言葉で「私は日本がどんな国であっても、私をどんなに苦しめても、
日本は私が最も愛し、なつかしく思う国です」と訴えた。

結果は敗訴と再入国不許可。特別永住資格を?奪される。
ピアノの勉強のため渡米した善愛さんに法治国家は厳しい態度で臨んだが、
全国に広がった押捺拒否の動きが2000年の制度撤廃に結びついたことを思えば、
勝ち取った果実は小さくない。渡米と同時に起こした再入国不許可取り消し訴訟は一部勝訴を経て
特別永住権を取り戻す。

 強いられる愛国心と排外主義は一体のものだ。それが在日である善愛さんには痛いほど分かる。
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)は、在日韓国朝鮮人ということだけで攻撃の対象にしてきた。
多数派の日本人には、その恐怖は実感できない。

1985年、ワイツゼッカー大統領(当時)が「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」
と歴史を直視して戦争責任を自覚するよう求めた有名な演説に比して、日本での動きはあまりにも弱い。
善愛さんは、そこに天皇制の無責任体制を見いだす。

安倍晋三首相がしきりに説く「戦後レジームからの脱却」も「戦前レジームへの回帰」と見抜いていた。
善愛さんは、殺される側の一人の人間として恐怖を覚えている。

昌華さんには「日本を愛したい、日本人の良心を信じたい」という強い願いがあったと善愛さんは振り返る。
日本国籍を取得することなく一生を終えたが、その人生を少しずつ理解できる経験と年齢を重ねてきて思う。
同様に日本国籍を申請しなかったのは、民族の誇りを取り戻そうと葛藤の日々を送った父の姿をそばで見てきたからだ、と。
裁判を通して法務省や日本政府の朝鮮人蔑視の感情が総体として伝わってくる。晴れやかな気持ちで日本国籍を取得できない限りは、
韓国語も話せない在日としてあるがままアイデンティティーを探し求めて生きていくしかない。

 「日本社会に『在日』が存在することが、諸悪の根源であるかのような空気すら生まれた。いや、空気だけではない、
『ヘイトスピーチ』が蔓延するこの国で、その矛先が自分に向かないようにと祈りながら生きている人が、
どんなに多いことだろう。自分の家族のルーツを隠すことでしか生き延びられない。そして、隠してしまう自分の弱さを恥じ入る」

一方、在特会初代会長、桜井誠氏は『大嫌韓時代』で「在日という異常な反日国家の国民が、
この日本に50万人以上も存在しているという現実に、ようやく日本人は向き合おうとしている」
と高らかに闘争宣言を記している。観光マナー欠如や犯罪者、強硬な対日国家政策の一部をもって
50万人の在日を丸ごと敵視してどうしようというのだろう。
通名(日本名)使用が“特権”だと思い違いをする前に、葬儀ですら大半が本名を名乗れない現実を知ってほしい。

http://www.labornetjp.org/news/2016/0310hayasida

引用元: ・【レイバーネット】日本帰化を拒否し特永資格を訴訟で勝ち取った在日韓国人の崔善愛さん。ヘイトスピーチをする在特会にその気持ち分からぬか[3/10]

【受け入れてくれた国に対してこの言い草 【レイバーネット】日本帰化を拒否し特永資格を訴訟で勝ち取った在日韓国人の崔善愛さん。在特会にその気持ち分からぬか[3/10]】の続きを読む