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    タグ:強制連行

    1: まるっとニュー 2019/06/06(木) 19:56:46.39 ID:CAP_USER
    旧日本軍の慰安婦問題をテーマにした、公開中のドキュメンタリー映画「主戦場」のメガホンを取ったミキ・デザキ監督(35)が3日、都内で会見を実施。慰安婦問題について「『強制連行』は世界的コンセンサス」などと持論を展開した。

     同作は5月30日に、作中でインタビューに答えた藤岡信勝氏(74)ら保守派の論者から、「歴史修正主義者のレッテルを貼られた」などと抗議を受けた。会見で、慰安婦問題における世界的なコンセンサスの認識を問われたデザキ監督は「世界が考えている慰安婦問題は、私の理解においては、彼女たちが性奴隷であったこと、20万人いたこと、強制連行されたということ」と明言した。

     さらに「私の考えでは具体的な数字を出すべきことではなくて、目安の数字でいいのでは」と発言。「いわゆる『修正主義者』たちの考えは、もう少し反すうをする余地があるのではと考える。彼らが『性奴隷ではなかった』、『強制連行ではなかった』と訴えているがために、いわゆる、というカッコ付きで『修正主義』という言い方をしている」と、藤岡氏らの主張を一部否定した。

     またデザキ監督は、抗議を行った保守派論客について「彼らは、世界的にコンセンサスが取れている慰安婦問題を、積極的に塗り替えようとしている」とも分析。加えて「彼らの言葉に説得力がないのは、映画の中で、この問題を研究している歴史家たちによってファクトチェックをされているからでは」と推測した。

     さらに「修正主義者と呼ばれる方たちが、慰安婦問題についての歴史家ではないことが多いということに注目していただきたい。にもかかわらず自分たちが慰安婦問題についての真実を語る専門家であると思っている」と、保守論客側の発言の正当性に疑問符も。「自分たちの正義を盲進している」と苦言も呈した。

     自身の映画作りに関しては「フェアな製作過程だった」と強調。「彼らは人に見て欲しくない、評判を下げたいと思っている。自分たちが発言した内容が、恥ずかしいと思っているのだろうかと思う。彼らがなぜ支持者たちにこの映画を見て欲しくないと思っているのか分からない」と笑みも見せながら話した。

    ソース デイリー
    https://www.daily.co.jp/gossip/2019/06/03/0012392389.shtml
    ★1 2019/06/06(木) 14:18:07.57
    http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1559810156/

    引用元: ・【性奴隷】「20万人の強制連行は世界的コンセンサス」 慰安婦ドキュメンタリー映画のミキ・デザキ監督が持論を展開★3[06/06]

    【思い込めばそれが史実ってか?w 【性奴隷】「20万人の強制連行は世界的コンセンサス」 慰安婦ドキュメンタリー映画のミキ・デザキ監督が持論を展開★3[06/06] 】の続きを読む

    1: まるっとニュー 2019/05/02(木) 21:37:20.58 ID:CAP_USER
    韓国で「吉田清治」が作った謝罪碑が復活、未だ残る従軍慰安婦“ウソ証言”の傷跡
    週刊新潮WEB取材班 2019年4月30日 掲載
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190430-00560323-shincho-kr&p=1
    吉田清治謝罪碑のその後
    no title

    「望郷の丘」の慰霊塔
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    故吉田清治氏の謝罪碑(上)と奥茂治被告がその上に貼り付けた後、剥がされた石板(下)
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    韓国・天安市に「望郷の丘」という国立墓地がある。

    朝鮮半島から海外に渡って帰国を果たせぬまま亡くなった人たちの墓地で、1976年10月にまず213体を収めて開園。現在は1万体以上が安置され、「安葬申請」はいまも受け付けられている。

    パンフレットには「日帝強占期に、本人の意志によらず強制動員された海外同胞たちの帰郷の念を叶える場所」と示され、言ってみれば「徴用工」の墓地だ。徴用工訴訟はさらに拡大していく様相を呈しているが、そのうち韓国がこの墓地を象徴的な場所として持ち出すかもしれない。そしてここにもう一つ、反日の原点ともいえる石碑がある。

    あの吉田清治氏の「謝罪碑」である。

    済州島の女性205人を強制連行して従軍慰安婦にしたなどの作り話で従軍慰安婦問題の発火点になった吉田清治氏は、1983年12月、慰安婦問題を書いた著作の印税でその碑を作った。「謝罪碑」はハングルと日本語で以下のように書かれている。

    〈「日本人の謝罪碑」
    あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて
    強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
    貴い命を奪われました
    私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として
    人道に反したその行為と精神を深く反省して
    謹んで あなたに謝罪いたします
    老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
    あなたの許しを請い續けます 合掌
    1983年12月15日
    元勞務報國會徴用隊長 吉田清治〉

    だが2年前、この「謝罪碑」は、奥茂治なる人物によって改変された。元の石板の上に短く3行、

    「慰霊碑 日本国 福岡県・吉田雄兎」(原文はハングル)

    と刻んだ石板を貼りつけたのだ。「雄兎」は吉田氏の本名である。

    奥氏は元海上自衛官。実業に転じたものの、予備自衛官や沖縄県隊友会(OB組織)幹部として自衛隊を支え、国防問題の啓蒙、情報収集を行う「南西諸島安全保障研究所」を主宰している。尖閣諸島に最初に「本籍」を移したことでも知られる。

    奥氏は、吉田氏の長男・英治氏の依頼を受け、石板を張り替えて帰国した。その後、韓国警察の出頭命令に応じ渡韓して逮捕され、裁判になった。これは度々メディアで報じられたから、あるいは記憶にある人も多いかもしれない。

    そして2018年1月に懲役6カ月・執行猶予2年の判決が下る。一時控訴したが、取り下げて判決が確定、2018年2月に帰国した。

    それでは、その後「謝罪碑」はどうなったか。

    引用元: ・【慰安婦問題】 韓国で吉田清治が作った謝罪碑が復活、未だ残る“ウソ証言”の傷跡…1943~1945年、朝鮮人6000余名を強制連行[05/02]

    【朝日新聞社員の人。これどーするの? 【慰安婦問題】 韓国で吉田清治が作った謝罪碑が復活、未だ残る“ウソ証言”の傷跡…1943~1945年、朝鮮人6000余名を強制連行[05/02] 】の続きを読む

    1: ろこもこ ★ 2018/04/24(火) 07:21:09.45 ID:CAP_USER
    https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180423/soc1804230008-n1.html

     韓国が、慰安婦の強制連行を示す決定的証拠だという資料がある。ところが、その資料を精査すると、全く異なる事実が浮かび上がってきた。東亜大学教授の崔吉城氏が解説する。

     * * *

     日本と韓国の間に燻り続ける慰安婦問題は、韓国の儒教的な貞操観と結びついて人権問題となり、政治利用されてきた。韓国で慰安婦は日本軍に徴用された被害者として扱われ、それが愛国者として崇められている。

     しかし、慰安婦に関する戦時中の軍関連文書が多く発見されても、慰安婦が“従軍”であったという決定的な証拠が出てこない。元慰安婦たちが証言する“強制連行”の客観的な裏付けが取れないという事実が、両国の不和の根本原因として厳然として横たわる。

     そんな中、2013年に韓国で『日本軍慰安所管理人の日記』という書籍が発刊された。同書は、ある朝鮮人が終戦直前に慰安所で管理人として働いた日々を綴った日記を、ソウル大学名誉教授の安秉直氏(アン・ビョンジク)が発見し韓国語に翻訳したもの。個人の日記でありながら、慰安所の業務日誌とも言える内容も記されている。これが、韓国で「日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料」だとして大きな話題となった。

     ところが、同書が日本でも紹介されたところ「慰安所は日本で言うところの遊郭、売春宿と似たような場所だった」と解説された。日韓で極端に相反する解釈がなされたのである。双方の正反対の意見を見た私は、慰安所の実態を知る上で貴重な研究資料となるこの日記を、先入観や偏見を排し反日・親日・嫌韓・親韓という立場を超えて客観的に読むべきだと考えるに至った。そして、安氏による訳だけでなく、日記原典とも照らし合わせながら1年以上かけて精読して上梓したのが『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実-文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』である。

     朴氏は30年以上に渡り1日も欠かすことなく日記をつけ続けた。安氏により刊行されたのは、26年分存在する日記のうち、日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として働いた1943年と1944年の2年分である。

     朴氏は穏やかで華やかな生活を送り、慰安所の仕事は規則正しかった。一方で、勤務する慰安所や住むところを変えることも多かった。当時は、戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた。軍需産業から性産業まで、多様な商行為が各地で行われていたのである。朴氏も、当該2年間だけでも釜山からビルマのプローム、アキャブ、ラングーン、シンガポールと移動し様々な慰安所に滞在している。その過程で朴氏は、職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった。

     「寝食をあの家、この家ですませていて、ほんとうにすまなく耐えがたい」

     慰安婦を直接管理した朴氏が軍人であったかどうかというのは、日記の解釈の大きなテーマだ。そして日記から読み取れる、時に不安定な朴氏の生活は、彼が軍人や軍属ではなくただの民間人であることを如実に物語っている。

     ◆慰安婦は商売だった

    以下ソース

    引用元: ・【慰安婦問題】慰安所管理の朝鮮人の日記に「強制連行」「性奴隷」の記述ナシ 慰安婦は商売だった[04/23]

    【【慰安婦問題】慰安所管理の朝鮮人の日記に「強制連行」「性奴隷」の記述ナシ 慰安婦は商売だった[04/23] 】の続きを読む

    1: たんぽぽ ★ 2018/02/28(水) 10:24:13.07 ID:CAP_USER
    https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201802/0011025182.shtml

     【ジュネーブ共同】堀井学外務政務官は27日、ジュネーブで開催中の国連人権理事会で、旧日本軍の慰安婦問題は未解決と主張した韓国の康京和外相の演説に対する反論演説を行った。日韓合意で問題は解決済みと強調するとともに「軍や官憲による慰安婦の強制連行は確認できなかった」と述べるなど日本政府の立場を改めて強調した。

     韓国政府は慰安婦動員に強制性はあったとの見方で、堀井氏の演説に反発する可能性もある。

     堀井氏は日韓合意について「国と国との約束」で政権が代わっても責任を持って実施するのが国際的な原則だと述べた。

    引用元: ・【慰安婦問題】慰安婦「強制連行」確認できず 堀井政務官、人権理で反論演説[02/28]

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    1: ニライカナイφ ★ 2017/11/28(火) 10:59:13.96 ID:CAP_USER
    ◆ハート出版、「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』」を刊行

    「慰安婦問題」が混迷の度を深める中、ハート出版は「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」を出版した。
    著者は崔吉城(チェキルソン)東亜大学教授・広島大学名誉教授。

    崔教授は、日本軍占領地で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人の日記を客観的に分析し、現地調査も行い、当地での慰安婦を含む朝鮮人の生活やその意識を浮き彫りにしている。
    問題の日記は、韓国では日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料とされているが、「連行」に関係する記述は全くないことが、崔教授によって明らかにされている。

    いわゆる「慰安婦問題」がいっこうに収まらない。
    朝日新聞が慰安婦虚偽報道を撤回、謝罪し、日韓両政府が慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決で合意しても、この問題は沈静化に向かわなかった。

    11月22日、サンフランシスコ市は「日本軍の性奴隷にされた数十万人の女性や少女のほとんどが囚われの身のまま亡くなった」と書かれた碑文と慰安婦像の公共物化を行い、それに対して大阪市の吉村洋文市長は23日、サンフランシスコ市との姉妹都市解消を表明した。
    翌24日、韓国国会が、毎年8月14日を元慰安婦をたたえる「慰安婦の日」に制定する法案を可決。
    韓国は7日にも、トランプ米大統領を招いて開かれた晩餐会に元慰安婦を招待している。

    そんな状況下で、画期的な書籍が出版された。
    崔 吉城(チェ キルソン)著「朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実」である。
    崔氏は韓国京畿道楊州市出身で、子供の頃、朝鮮戦争を体験している。
    それも特異な体験である。

    崔氏の村の人たちは、国連軍は平和軍であり、共産軍から自分たちを守ってくれる天使のような軍だと思っており、大歓迎して迎えた。
    ところが、その国連軍の兵士たちは村の女性たちを襲い始めた。その性暴行は凄惨を極め、男子児童にまで被害が及んでいる。
    結局、崔氏の村に慰安所ができ、それによって村の一般女性に対する性暴行は沈静化したと言う。

    そういう背景のある崔氏は、文化人類学者として、戦争とセックスの関係や、性と政治が深く関わる韓国社会を研究対象としている(ソウル大学を卒業した崔氏は、現在、広島大学名誉教授であり、東亜大学教授、同大学東アジア文化研究所所長を務めている)。
    今回の著書で崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、朴氏が残した日記である。
    この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』というタイトルですでに韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料だとされている。

    崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本に直接あたり、朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
    崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうというものである。
    引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
    崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。

    この日記を精読した崔教授によれば、「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない。だが、それはその期間の日記が残っていないからだと言う人もおり、それを他の資料で補充しようとする人もいる。だからこそ私は、この日記を忠実に読もうとした。それでもなお、この日記には、そうした『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
    さらに、崔教授は「この日記をもって『慰安婦問題を決着する!』と反日的に解釈する人は多く、この日記がそのように利用されることは、まさに矛盾しており、滑稽なことでもある。つまり、親日をもって反日としているからである」と、この日記を強制連行の証拠と主張する人たちを批判している。

    本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
    日本軍占領地で慰安所を含む経済活動に、多くの朝鮮人が事業主として重要な役割を担っていたのである。

    写真:http://www.zaikei.co.jp/files/press/2017112717020700vp1a.jpg

    財形新聞 2017-11-27 14:00:00
    http://www.zaikei.co.jp/releases/558001/

    ※続きます

    引用元: ・【韓国】韓国人学者「慰安所管理人の日記を精読し現地調査もしたが、慰安婦を強制連行したという証拠は一切無い」[11/28]

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