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    タグ:従軍慰安婦

    1: まるっとニュー 2022/09/20(火) 21:40:56.28 ID:CAP_USER
    旧統一教会が韓国で行ってきた、「従軍慰安婦プロパガンダ」の呆れた実態

    2012年の日本人女性の謝罪の様子は、聯合ニュースをはじめ韓国メディアで報道された Photo/現代ビジネス
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    自民党は所属国会議員のうち179人が旧統一教会との接点があったと調査結果を発表した。火消しに躍起になる自民党だが、調査内容への不満が高まり火に油を注ぐ結果となっている。保守政治家の矜持はいったいどこへいったのか。保守政治家と旧統一教会との関係がいかに矛盾に満ちているかを、元足利市長で旧統一教会ウォッチャーの大豆生田実氏が解説する。
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    ●韓国へ嫁いだ日本人信者たち
    8月18日に韓国で行われた旧統一教会のデモ。日本メディアの旧統一教会へのバッシングを批判した Photo/gettyimages

    旧統一教会の信者たちが、8月18日に韓国ソウル市の一角で数千人規模のデモを行ったことは記憶に新しいところですが、そのデモの際に旧統一教会の韓鶴子総裁が参加者に向かって、「(韓国に嫁いだ)7000人の日本人女性の皆さん」と呼びかけたことをご存じでしょうか。

    彼女たちはおそらく、私が前回寄稿した「旧統一教会による『もうひとつの拉致』事件を忘れてはならない」で取り上げた、A子さんに似た境遇を持っている方々でしょう。

    つまり、日本で旧統一教会の勧誘を受け、マインドコントロールされた上で合同結婚式に参加し、韓国人に嫁いだ女性たちだと推察されます。

    そのデモに参加した日本人の女性信者たちの行動を見るにつけ、私は過去にも同じようなことがあったことを思い出しました。

    韓国在住の日本人信者である彼女たちが表立って、とある主張をはじめたのは、ちょうど10年くらい前の2012年ごろ。日本と韓国の関係が特に悪化し始めた時期のことでした。

    その主張とは、「従軍慰安婦」について日本政府に謝罪を求めるものでした。

    従軍慰安婦問題と言えば、多くの方は1980年代の朝日新聞の報道が思い出されるでしょう。吉田清治氏が、「太平洋戦争中に軍の命令を受け、朝鮮で若い女性を慰安婦にするために自身が強制連行した」と証言したのが発端でした。

    それからおおよそ30年後の2014年8月5日に朝日新聞は「吉田証言」を扱った記事を取り消して謝罪したわけですが、この慰安婦問題がいまだに日韓の外交問題の火種になっているのはご承知の通りです。

    一方で、旧統一教会によって、韓国で「従軍慰安婦」問題が喧伝されていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

    大豆生田 実(元足利市長)/週刊現代(講談社)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/862b44a66ace5767bb354e465fae9945a5adcbc5

    引用元: ・【歴史認識】 旧統一教会が韓国で行ってきた、「従軍慰安婦プロパガンダ」の呆れた実態…「日本人を代表してお詫びします」[09/20] [LingLing★]

    【野党系のマスコミや識者が言ってた主張【歴史認識】 旧統一教会が韓国で行ってきた、「従軍慰安婦プロパガンダ」の呆れた実態…「日本人を代表してお詫びします」[09/20] [LingLing★]】の続きを読む

    1: まるっとニュー 2021/02/18(木) 12:52:47.33 ID:CAP_USER
    2021年2月16日 5時30分
    https://globalnewsasia.com/article.php?id=6946&&country=1&&p=2

    2021年2月、世界からその特異性を度々指摘される韓国。インドとの関係も悪化している。

    さて、女性を、性欲のはけ口に使ったことは、第二次世界大戦の中で最も卑劣な行動の一つだ。従軍慰安婦というと、どうしても「韓国」がクローズアップされてしまうが、他の国にはいなかったのかというと、存在した。しかし、多くの元慰安婦たちが、今高齢になって、忘れ去りたい過去の仕打ちと今も闘いながら、穏やかに暮らそうとしている。

    1995年、日本政府は慰安婦たちへの道義的責任を認めた。その「償い」の気持ちを表すために、国の補助金と国民からの募金によって「アジア女性基金」(2007年3月で解散)を設立した。各国、各地域の元慰安婦のための事業を行うためだ。

    1997年から、フィリピン、台湾、韓国の元慰安婦に、一人当たり200万円の「償い金」を支給することを始めた。

    インドネシアとオランダにおいては、両国政府及び関係者との相談の上、拠出金を元慰安婦たちのための事業に使うことになった。個人に償うか、全体的に償うかは、国民性の違いだ。

    オランダで当時存命していた元慰安婦は79名。もっといたが、日本からの支援を受け取りたくないと断られた。生活の改善と向上に関する事業が行われた。

    フィリピンでは、200万円という金額はかなりの金額になる(そのほかに、一人当たり120万円相当の財制サービスもなされた)。この時、当時の小泉純一郎総理から手紙が添えられていた。フィリピンの元慰安婦たちは、お金だけの問題ではなく、気持ちまで受け取ったと、感謝していると、少なからず語っている。

    韓国においては、ご存知の通りだ。素直に受け取った元慰安婦たちは激しく非難され、プライバシーまで犯された。いわゆる支援団体の関係者が、勝手に今も動いていると言うことになっている。

    どこにいる元慰安婦たちも、76年前に我が身に降りかかった不幸を忘れることはない。けれど、どこかで線を引かないと自分の人生を生きられず、恨みばかりが募っていく。名もなき女性たちを、日本の名もなき兵士たちが踏みにじったことをお金で解決するのは間違っている。でも過去には戻れない。

    いずれ、すべての国の元慰安婦に寿命が来て、その悲惨な過去は歴史で語られる物語に代わっていく。

    どこかの国だけが、何百年も恨を持ち続けていくのだろう。それは、生きる上でしんどくはないだろうか。戦争の現実を知らない今を生きる人間たちには、身体的被害はないというのに。

    引用元: ・【慰安婦問題】韓国以外に、従軍慰安婦はいなかったのか[02/16] [Ttongsulian★]

    【コピノとかライダイハンと言う子達が証拠 【慰安婦問題】韓国以外に、従軍慰安婦はいなかったのか[02/16] [Ttongsulian★]】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(愛媛県) [US] 2017/11/17(金) 21:54:13.59 ID:05CDxtvn0 BE:135853815-PLT(12000) ポイント特典
    sssp://img.5ch.net/premium/1372836.gif
    ・共同通信の記事

    国連人権理、日本に従軍慰安婦への謝罪要求

    国連人権理事会の作業部会の勧告は、従軍慰安婦問題で日本に誠意ある謝罪と犠牲者への補償を求めた。

    https://this.kiji.is/303885261224789089



    ・産経新聞の記事

    (※謎の規制に引っかかるので回避のため2に)

    引用元: ・「国連人権理、日本に従軍慰安婦への謝罪要求」→報告書、各国の発言を纏めただけの単なる議事録だった

    【【もう国連詐欺は通用しませんw】「国連人権理、日本に従軍慰安婦への謝罪要求」→報告書、各国の発言を纏めただけの単なる議事録だった 】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★ 2017/10/09(月) 05:35:11.71 ID:CAP_USER
    日韓関係をぎくしゃくさせている原因のひとつとしてあげられることの多い、日本による「朝鮮統治」。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏の著書『朝鮮総督府官吏、最後の証言』の内容を引きながら、朝鮮統治時代の日本人と朝鮮の人々との関係性について、メルマガ著者の伊勢雅臣さんが分析・解説しています。

    朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク

    朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

    この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

    一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

    仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。

    町の周囲の山が禿山だった

    西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

    朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。
    …朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。
    (『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)

    西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、70~80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

    朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9,000万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。

    日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

    昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

    昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

    給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

    その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。

    http://news.livedoor.com/article/detail/13700505/

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【歴史】「従軍慰安婦」の強制連行も、差別もなかった 最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」[10/09]

    【【朝鮮人は裏切り者 】「従軍慰安婦」の強制連行も、差別もなかった 最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/09/29(金) 01:15:33.08 ID:CAP_USER
    水掛け論の根本に何があるか

    いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」といった事象は、いまだに日韓、あるいは日中の間で歴史問題となっている。それぞれの出来事についての、基本的な事実すら共有できていないというのが現状である。「慰安婦」が存在したことや、南京で市民が殺された、といったところまでは互いに認めていても、人数その他で両国の主張は異なることが多い。

    わずか70年ほど前のことで、なぜこんなに認識が異なるのか。そもそも水掛け論はいつまで続くのか。人数云々以前に、こうした疑問を抱く人も少なからずいるのではないか。

    こうした「そもそも」の疑問について、有馬哲夫早大教授は、新著『こうして歴史問題は捏造される』で、歴史論議の「基本」を解説している。有馬氏は公文書研究の第一人者で、これまでに世界各国の公文書をもとに様々な新事実を発掘してきた。

    以下、同書より抜粋、引用しながら、なぜ「歴史問題」が終結しないのかの根本を見てみよう。

    ***

    大切なのは反証可能なこと

    歴史論争をするとき、なぜそれはただの言い合いや水掛け論になってしまうのでしょうか。とくに日本と韓国や中国が歴史問題を議論するときは、互いに根拠をあげて議論するのに結論には一向にたどりつけません。どこまでいっても平行線です。歴史的事実は一つなのですから、議論すればするほど、互いの認識は近くなるはずですが、そうはなりません。

    それは歴史(および人文科学)の論議は、反証可能でなければならないという原則を中国と韓国が無視するからです。実は彼らは反証可能な根拠に基づいて歴史論議をしていないのです。

    反証可能とはオーストリア出身でイギリスの大学で教鞭をとったカール・ポパーが提唱した概念です。彼の説明を使うと「白鳥はみな白い」というためには「黒い白鳥はいない」ということを証明しなければなりません。しかし、実際には黒い白鳥はいます。したがって「白鳥はみな白い」とはいえません。

    ところが、黒い白鳥は数が少ないので、見たことがない人は、自分の経験上「白鳥はみな白い」と思うでしょう。思う分にはかまわないのですが、その思い込みを他人に語って、誤った知識を与えると問題です。そうならないよう、白鳥の色について自説を語りたい人は、生息地を回って、反証がないか確認する必要があります。この場合の反証とは「黒い白鳥がいる」ということです。

    このように反証がないかどうかを検討することができることを、「反証可能性がある」といいます。そして言説や仮説には、反証可能性がなければならないというのが、歴史やその他の学問においては大前提です。

    ここで混同されないように断わっておくと、「反証可能性がある」ということと「反証がある」というのは別のことです。反証可能性を検討したうえで「反証はない」または「反証はないと現時点では考えておいてよい」となれば、その学説や仮説はその時点では「正しい」と認められることになります。ただし、あとで反証があがってくれば、「誤りだ」ということになります。

    また、反証があるかどうか、検討できないということは、正しいか、間違っているか判断できないということです。学問では、正しいかどうか判断できないことは、正しいとはみなしません。何も証明できない、つまり、証明能力がないということになります。

    (略)

    こうした解説を聞いてなお、「いや、慰安婦は本人の証言がある」「南京事件も実行者の記録がある」といった主張をする人もいるだろう。いわゆる「第一次資料」があるのだ、という見方である。有馬氏は、歴史研究における反証可能な資料は第一次資料だ、としながらも、その取扱いには注意が必要だ、と指摘している。

    「関係者本人の証言記録」や「本人の手記」といった、いわゆる「第一次資料」は「新発見!」といったセンセーショナルな謳い文句とともに紹介されることが多い。しかし、当然のことながら、「第一次資料」だからといってすべて信用していいわけではない。

    「私は従軍慰安婦を強制連行した」という「証言」「手記」が大嘘だったことはすでに明らかになっている。

    https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09200610/?all=1

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【歴史】従軍慰安婦、南京大虐殺…「歴史問題」はなぜ水掛け論になるのか[9/29] [無断転載禁止]©2ch.net

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