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    タグ:朝鮮人

    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/02(日) 16:17:30.54 ID:CAP_USER
    http://www.newscj.com/news/photo/201809/newscj_%EC%B2%9C%EC%A7%EC%9D%BC%EB%B3%B4_551153_546832_2916.jpg
    http://www.newscj.com/news/photo/201809/newscj_%EC%B2%9C%EC%A7%EC%9D%BC%EB%B3%B4_551153_546823_432.jpg
    ▲1923年9月1日、東京をはじめとする関東地域に震度7.0以上の大地震が起きるとすぐに荒々しくなった民心をなだめるために日本は朝鮮人を犠牲の羊とし、デマを広めて自警団などが凄惨に殺害した様子。(提供:チョン・ソンギル写真研究者)(c)天地日報2018.9.1
    http://www.newscj.com/news/photo/201809/newscj_%EC%B2%9C%EC%A7%EC%9D%BC%EB%B3%B4_551153_546833_3524.jpg
    ▲関東大地震により安全な地域に逃げようと列車に乗るために混乱した姿(提供:チョン・ソンギル写真研究者)(c)天地日報2018.9.1
    http://www.newscj.com/news/photo/201809/newscj_%EC%B2%9C%EC%A7%EC%9D%BC%EB%B3%B4_551153_546834_363.jpg
    ▲関東大地震により列車線路が崩れた姿(提供:チョン・ソンギル写真研究者)(c)天地日報2018.9.1

    関東大地震朝鮮人大虐殺事件95周年をむかえて関連未公開写真4点を公開する。1923年9月1日、東京、横浜を中心に日本関東地域に震度7.0以上の直下型地震が発生して廃虚になるほど被害が深刻だった。当時、地震は日本の経済が良くない恐慌状態で発生したので民心の墜落が心配された。これに日本政府は直ちに戒厳司令部を設置し地震による経済破綻で鬱憤がさく烈した民心をなだめるため犠牲の羊を朝鮮人に回した。

    日本戒厳司令部は「朝鮮人が暴動を起こす」「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸にドクを入れた」等のデマをまき散らした。戒厳司令部は無電やビラ、ポスターなどをばらまいて関東一帯の朝鮮人が隠れる場所がないように助長する役割を果たし、刑務所に収監中の囚人までみな送りだして自警団を構成させ、大虐殺を行うようそそのかした。

    これらによって虐殺された朝鮮人は6千人余り(独立新聞発表)で多くて2万3000人以上(ドイツ文献など)だ。公開された写真は当時の地震の威力がどれほどすごかったのかを知らせ無残に凄惨に虐殺された姿は話す言葉を失わせる。

    1948年、国連総会ではジェノサイド(genocide、集団虐殺)に関する協約が承認されて人種・理念などの対立を理由に特定集団を大量虐殺する行為を犯罪と定義する国際法を通過させた。これに中国の南京大虐殺とナチによるユダヤ人虐殺が最初にジェノサイド犯罪に適用された。

    関東大地震大虐殺事件はジェノサイドと認定されなければならない重大な事件であるのにまだ政府次元の動きがない。
    (中略)

    これらの写真は当時、日本にいた外国人が衝撃的な現場を見てカメラに収めた写真だ。それでもこの衝撃的な場面は90年近く流れる間、アルバムの中に平凡に保管されていたし、これをチョン・ソンギル写真研究者がうわさをたよりに捜したあげく救うことになった。

    そのおかげで私たちは子孫として日本の当時の蛮行を明らかにして凄惨に死んだ先祖の悔しさをほぐすことができる証拠資料を得ることになったのだ。

    チョン研究者は関東大地震事件の実体を明らかにするために500枚余りの写真を本に綴って5年間の作業を通じて最近発行した。チョン研究者は「我が国の政府は立証できる根拠と証拠資料があるにもかかわらず記憶さえしなくなっている」と嘆きながら「今年は関東大地震が発生して95周期になる年だ。今も日本の朝鮮人大虐殺事件が明白なジェノサイドであることを明らかにしなければならない時」と強調した。

    引き続き「私たちの同胞が、私たちの先人らが理由も知らずに凄惨に死んでいかなければならなかったその怨恨を今からでも解いて差し上げなければならない」とし、「1世紀すぎる前にこれができなければこの事件はそのまま埋められることになる。日本が朝鮮人に向かって犯したその蛮行を速く明らかにして正しくなされた謝罪を受けることが今を生きる私たちがするべきこと」と促した。

    キム・ヒョンジン記者

    ソース:天地日報(韓国語) [関東(クァンドン)大地震事件95周期]日本の朝鮮人大虐殺、明白な「ジェノサイド「であることを明

    関連スレ:【関東大震災】 「関東大地震朝鮮人虐殺は独立運動のせい」~日本極右政治家が根拠のない主張[09/02]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1535868289/

    引用元: ・【関東大震災】 日本の朝鮮人大虐殺は明白な「ジェノサイド」である~未公開写真4点を公開[09/01]

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    1: きゅう ★ 2018/08/21(火) 18:09:46.96 ID:CAP_USER
    【平壌8月20日発朝鮮中央通信】この前、日本の警察は在日本朝鮮人サッカー協会副理事長兼国際部長の家と事務室を強制捜索する暴挙を働いた。

    根拠は、国連の対朝鮮制裁決議と日本の「外為法」に違反する取り引きを行ったということである。

    早朝から翌日の未明まで白昼強盗さながらの捜索騒動を起こした警察のごろつきらは同胞の携帯電話とコンピュータ、各種の書類を押収した。

    20日付の「労働新聞」は署名入りの論評で、これはそれこそ、総聯(朝鮮総聯)と在日朝鮮人に対する極度の敵対感と悪意的な偏見でいっぱいの日本式「法治」制度の下でだけ見られる殺風景であると非難した。

    同紙は、今回の妄動は社会全般に反総聯機運を大々的に鼓吹して自分らの犯罪的な総聯抹殺策動を合理化してみようとする日本特有の奸悪さと卑劣さ、民族排外主義的な汚らわしい政治風土をそのまま見せているとし、次のように強調した。

    途方もない罪にかけて総聯の活動家と在日同胞にむごい弾圧と迫害を加えることで、母なる祖国と彼らの間の血縁的連携を断とうとするのが日本反動層の汚い下心である。

    総聯組織と在日朝鮮人に対する日本反動層のあらゆる弾圧行為は、わが朝鮮に対する悪らつな政治的挑発であり、人権と人道主義に対する乱暴な蹂躙(じゅうりん)として絶対に許せない。

    同紙は、総聯と在日朝鮮人に対するいかなるいささかの迫害や弾圧も朝鮮の尊厳と自主権に対する重大な侵害に認め、それに断固と対応していくのはわれわれの一貫した立場であり、確固たる意志だと明らかにした。---


    http://www.kcna.kp/kcna.user.article.retrieveNewsViewInfoList.kcmsf

    引用元: ・【朝鮮人サッカー】総聯と在日朝鮮人に対する日本の弾圧行為[08/20]

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    1: たんぽぽ ★ 2018/06/21(木) 17:08:01.30 ID:CAP_USER
    日本強占期に軍艦島(端島)など炭鉱地域に強制的に動員された朝鮮人に関連する文書と写真が一般に公開される。これまで公開されていなかった貴重な記録物であり、被害真相究明と権利規制に貴重な資料になると期待される。

    国家記録院は在日同胞の故金光烈(キム・ガンヨル)氏(1927-2015年)が集めた朝鮮人強制動員関連記録物およそ2000点を公開すると21日、明らかにした。

    1943年に日本に渡った後、教壇に立った金氏は約40年間にわたり、日本の3大炭鉱地域であり代表的な朝鮮人強制動員地域である築豊地域を中心に記録物を収集した代表的な専門家。金氏が所蔵していた記録物は一般に公開されず、関連の専門家も確認が容易でなかった。

    公開される記録物は朝鮮人関連の健康保険台帳と勤労者名簿、火葬認可証などの書類をはじめ、朝鮮人労働者の募集と移動過程などで使用された領収証、金氏が撮影した軍艦島の写真などだ。

    記録物のうち麻生産業健康保険台帳は学界に一度も公開されていない資料であり、名前と生年月日、保険記号、保険取得・喪失日などが含まれている。

    福岡県貝島大之浦炭鉱の勤労者名簿も被徴用者の名前と生年月日、原籍などが記録されていて、被害者真相究明などで活用価値が高いと考えられる。

    この記録物は金氏が1976年に関連炭鉱の労務係職員を数回訪れて原本記録物を収集した経緯が詳しく残っていて、記録学的にも価値が高いと評価されている。

    (以下略、続きはソースでご確認下さい)
    http://japanese.joins.com/article/500/242500.html

    引用元: ・炭鉱勤労者名簿など朝鮮人強制動員の貴重記録物を公開へ[06/21]

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    1: ろこもこ ★ 2018/04/24(火) 07:21:09.45 ID:CAP_USER
    https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180423/soc1804230008-n1.html

     韓国が、慰安婦の強制連行を示す決定的証拠だという資料がある。ところが、その資料を精査すると、全く異なる事実が浮かび上がってきた。東亜大学教授の崔吉城氏が解説する。

     * * *

     日本と韓国の間に燻り続ける慰安婦問題は、韓国の儒教的な貞操観と結びついて人権問題となり、政治利用されてきた。韓国で慰安婦は日本軍に徴用された被害者として扱われ、それが愛国者として崇められている。

     しかし、慰安婦に関する戦時中の軍関連文書が多く発見されても、慰安婦が“従軍”であったという決定的な証拠が出てこない。元慰安婦たちが証言する“強制連行”の客観的な裏付けが取れないという事実が、両国の不和の根本原因として厳然として横たわる。

     そんな中、2013年に韓国で『日本軍慰安所管理人の日記』という書籍が発刊された。同書は、ある朝鮮人が終戦直前に慰安所で管理人として働いた日々を綴った日記を、ソウル大学名誉教授の安秉直氏(アン・ビョンジク)が発見し韓国語に翻訳したもの。個人の日記でありながら、慰安所の業務日誌とも言える内容も記されている。これが、韓国で「日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料」だとして大きな話題となった。

     ところが、同書が日本でも紹介されたところ「慰安所は日本で言うところの遊郭、売春宿と似たような場所だった」と解説された。日韓で極端に相反する解釈がなされたのである。双方の正反対の意見を見た私は、慰安所の実態を知る上で貴重な研究資料となるこの日記を、先入観や偏見を排し反日・親日・嫌韓・親韓という立場を超えて客観的に読むべきだと考えるに至った。そして、安氏による訳だけでなく、日記原典とも照らし合わせながら1年以上かけて精読して上梓したのが『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実-文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』である。

     朴氏は30年以上に渡り1日も欠かすことなく日記をつけ続けた。安氏により刊行されたのは、26年分存在する日記のうち、日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として働いた1943年と1944年の2年分である。

     朴氏は穏やかで華やかな生活を送り、慰安所の仕事は規則正しかった。一方で、勤務する慰安所や住むところを変えることも多かった。当時は、戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた。軍需産業から性産業まで、多様な商行為が各地で行われていたのである。朴氏も、当該2年間だけでも釜山からビルマのプローム、アキャブ、ラングーン、シンガポールと移動し様々な慰安所に滞在している。その過程で朴氏は、職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった。

     「寝食をあの家、この家ですませていて、ほんとうにすまなく耐えがたい」

     慰安婦を直接管理した朴氏が軍人であったかどうかというのは、日記の解釈の大きなテーマだ。そして日記から読み取れる、時に不安定な朴氏の生活は、彼が軍人や軍属ではなくただの民間人であることを如実に物語っている。

     ◆慰安婦は商売だった

    以下ソース

    引用元: ・【慰安婦問題】慰安所管理の朝鮮人の日記に「強制連行」「性奴隷」の記述ナシ 慰安婦は商売だった[04/23]

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    1: 薬師神 ★ 2018/01/22(月) 15:51:06.41 ID:CAP_USER
    朝鮮で近代的司法制度を整えたのは日本である。
    高等法院(京城=現・韓国ソウル)-覆審法院(京城・平壌・大邱)-地方法院の三審制、それぞれに対応する検事局が設けられた。

    起訴や捜査、法務行政を握る検事が強大な権力を持っていたのは日本統治下の朝鮮でも変わりはない。
    検事の中で朝鮮人として出世頭のポジションにあったのが、大和田元一(げんいち)(朝鮮名・李炳●=1905~92年)である。

    九州帝国大学を出て昭和9年の高等試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格。
    30代で朝鮮人としては異例の平壌覆審法院検事局検事(現在の高検検事に相当、ランクは高等官四等)に出世した。

    19年1月の司法部職員録を見れば、京城覆審法院検事局の朝鮮人検事として大和田より上位(高等官三等)に閔丙晟の名前がある。
    ただ、明治23年生まれの閔はこのとき50代。
    京城専修学校出身の“たたき上げ”であり、「キャリア組」の大和田が朝鮮人検事のリーダー格だったと言って差し支えないだろう。

    大和田の前半生は日本の朝鮮統治と重なっている。
    出身は、朝鮮半島南東部の慶尚北道・金泉の名家(両班(ヤンバン))、父親は日韓併合前の大韓帝国時代、郡守(首長)を務めていた。

    生後5年で日韓併合(明治43年)となり、朝鮮の教育環境は日本によって急ピッチで整備が進む。
    具体的なデータを挙げてみたい。

    ■開かれた高等教育

    当時、朝鮮人の初等教育は、寺子屋にたとえられる書堂(ソダン)が主だった。
    日韓併合直後の明治44年の統計によれば、朝鮮人が通う普通学校(小学校)が173校(児童数2万121人)に対し書堂は1万6540校(同14万1604人)。
    それが昭和8年には普通学校2100校(同56万1920人)▽書堂8630校(同14万2668人)と児童数で逆転している。

    法律や医学の高等教育機関である専門学校は明治44年に5校(学生数409人)だったが、昭和8年には15校(同3785人)へと急増。
    1校もなかった大学は京城帝大が創設(大正13年予科)された。

    大和田は、地元の普通学校→京城の高等普通学校(中学)→官立の京城法学専門学校と進み、京城帝大はまだ開設されていなかったため(学部は大正15年設置)、朝鮮から最も近い帝国大学である九州帝大法文学部法律学科へ進学した。
    高等試験司法科に合格した大和田は、検事の道を選び、光州地方法院検事局・長興支部検事(昭和14年)→新義州地方法院同(15年)→平壌覆審法院同(18年)と検事として順調に出世の階段を上る。

    朝鮮人の司法職員数も、明治44年・364人→昭和8年・1232人へと増加した。
    朝鮮人に高等教育の機会が開かれ、法を司(つかさど)る検事や判事(裁判官)のポストに就くことができたことは注目すべきであろう。

    ■親日派として指弾

    だが、大和田の輝かしい経歴も戦後の韓国ではマイナスとなった。
    日本統治時代の“協力者”をリストアップし、韓国で2009年に出版された『親日人名辞典』の大和田の項では、「創氏改名」(昭和15年実施)の記述に大きなスペースを割き、大和田が当時の新聞や雑誌に発表した見解を紹介した上で、同制度を積極的に支持したと書いている。

    確かに《栄光的な大日本帝国の兵站(へいたん)基地としての2300万の(朝鮮)半島民衆》などと刺激的な記述はあるものの、《古代的氏族の代名詞である「姓」を止揚(※古い物は保存し、より高い段階で生かすという意味)させ、それに代わって創氏制度が新たに制定される》と法律家らしく明快に説明しており、どこが問題なのか分からない。
    創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう。

    大和田の言う通り、これは朝鮮伝統の金、朴、李などの「姓」(儒教文化的男系一族の象徴)は戸籍に残したまま、日本風の山田、田中といった家族的な「氏」を新たに創設する制度だ。朝鮮人の「姓」は数が少なく混乱の原因になる上、女性は結婚後もその姓には加われない。
    古代→近代、一族→家族化を図り「内鮮一体」の同化も進めましょう…というのが目的だった。

    本貫と呼ばれる出身地と併せて「姓」を一族の誇りにしてきた名家には、いらぬ“おせっかい”だったかもしれないが、日本人と同等になれる、差別がなくなる…と歓迎した朝鮮人も多い。
    一方、日本には朝鮮人の犯罪抑止を理由に反対する意見もあったのである。

    重要なのは強制でなかったことであろう。
    日本風の氏を創設したのは約8割。期間中に届け出なければ、金や朴など従来の「姓」をそのまま「氏」として使うことができた。

    http://www.sankei.com/column/news/180121/clm1801210008-n1.html

    引用元: ・【歴史】創氏改名は「強制ではない」…是々非々貫いた朝鮮人検事[1/22]

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