1: まるっとニュー 2020/07/28(火) 01:09:48.74 ID:CAP_USER
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▲1889年「改正 日本地誌要略」に入れられた日本全図。独島(ドクト)と鬱陵島(ウルルンド)が日本領土と表示されていない。ハン・チョルホ教授論文

19世紀、日本政府が独島(ドクト、日本名:竹島)を自国領土と見ていなかった、という研究結果が出た。明治時代、日本の権威ある地理学者として統一された日本地名を使った最初の地図書「日本地誌要略」を書いた大槻修二の分析が裏付けている。

27日、東北アジア歴史財団によればハン・チョルホ東国(トングク)大歴史教育科教授はこのような研究結果を入れた論文「日本明治時期大槻修二の『日本地理要略』編纂と独島認識」を学術誌「東北アジア歴史論叢」に掲載した。

論文によると大槻は1874年「日本地誌略」と1875年「日本地誌要略」を出した後、1886年これを補完した「改正 日本地誌要略」を出版した。「日本地誌略」は日本政府が発行した小学校日本地理教科書で、地理教科書の基準として評価される。

ハン教授は大槻の独島に関する記述に注目した。大槻は日本の領土拡張を重視した人物として、領土変動事項を見逃すわけがないと見たからだ。研究の結果、大槻は「日本地誌要略」で鬱陵島や独島を日本領土と見なさなかった事実が明らかになった。「改正 日本地誌要略」では独島について朝鮮の属島と確かに記述した。
(記者注:「確かな記述」とは下図の様に着色されていないことと考えられる。しかし、佐渡や隠岐にも着色はなく、領土が着色により分類されているとは考えにくい。さらに「松シマ」と日本式島名が書かれている)

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▲1886年出版された「改正 日本地誌要略」に出てくる大日本万国全図。日本領土とは異なり、独島と鬱陵島には着色表示がない。ハン・チョルホ教授提供(別ソース:文化日報)

だから大槻の著書では独島は日本領土として彩られていなかった。特に増補版である「改正 日本地誌要略」は1889年、日本全国師範学校の予備教師と中学生のための教科書として使えるよう「文部省検定制」まで取得した。政府が大槻の歴史的見解をそのまま認めたわけだ。

ハン教授は「改正日本地誌要略は無主地先行獲得論と固有領土論を前に出して独島が自国領土だと主張する日本の情報の論理を客観的に批判できる資料になるだろう」と結論付けた。

チャン・ジェジン記者

ソース:韓国日報(韓国語)19世紀日本文部省さえ'独島(ドクト)は朝鮮の土'
https://www.hankookilbo.com/News/Read/A2020072717560005360

引用元: ・【竹島問題】 19世紀の日本文部省さえ「独島は朝鮮領土」と認識、という研究論文発表[07/27] [蚯蚓φ★]

【馬鹿すぎて見てられん 【竹島問題】 19世紀の日本文部省さえ「独島は朝鮮領土」と認識、という研究論文発表[07/27] [蚯蚓φ★]】の続きを読む