1: まるっとニュー 2022/07/13(水) 00:19:06.02 ID:CAP_USER
[イジェジュン文化コラム]安倍元総理の被撃死
2022-07-10 18:33
天地日報
イ・ジェジュン歴史研究家/コラムニスト
日本に仏教を伝来してあげた百済ソンワン(聖王、?-554AD)の死について、日本書紀は動機と事実を詳細に記している。書記を書いた人が、百済から日本に来た人に事件の顛末を聞いて詳しく記したのだ。我々の三国史記には、真興王(チヌンワン)の頃、新羅軍と百済軍がコリサンソン(今の沃川オクチ ン)で激戦を繰り広げた末に死亡したとだけ記録している。
聖王を捕らえて首を斬った新羅軍の名前と職責まで記している。報恩三年山城(ポウンサムニョンサンソン)から出戦した高干の都刀が急襲で聖王を捕らえて斬首したのだ。都刀は彼が捕虜にした人が百済王であることを知りながらも、ひざまずいて礼を尽くし、首を出せと詰め寄る。
しかし聖王は、「私は一国の王なのに、お前のようなつまらない身分に首をやることはできない」と抵抗した。その時、都刀は身分が下賤でも王の首を切ることができるという名分を話した。
「我が新羅では、王が二枚舌を使うと、臣下が王の首を斬ることができます。百済が我が大王との約束を破って国境を侵犯したのがその理由です。」
聖王は逃れられないことに気付いて首を出してしまった。高干は地方外職の中で三番目に級食に該当する職位だ。ところが、都刀は新羅の武士の気品と属性を見せ、注目されるのだ。 敵国の王だが、ひざまずいて礼を尽くして弑害しようとする意を丁重に伝えたのだ。この態度は類書を学んだ武士でなければできない行動だ。日本史官はなぜこのような事実を詳細に記録したのだろうか。
新羅後期の王宮では、相次いで政変と王が殺害されることが多かった。花郎出身の王族の武士たちが不道徳な王を殺害したのだ。高麗恭愍王は、自身が連れていた護衛武士の子弟衛の刃で犠牲になった。恭愍王が混迷した精神で変態的行為を強要すると、深夜に殺害したのだ。
この時期だけでも、日本にはサムライという名称が存在しなかった。一部の学者たちは伽耶の武士道がニンジャ(忍者)を通じて日本に伝来されたとも言われ、その時期を伽耶滅亡の時と捉えたりもする。日本に伝来する忍者の説話が新羅花郎道に似ている。頭には羽毛を差し込み、馬に乗って顔を隠して行き神出怪物で人々を助けるという説話がそれだ。
しかし、日本の学者たちはムサド(武士道、 ぶしどう)が登場した時期は、13~16世紀以降ということで意見が一致する。 武士としての理想的な姿勢や思想について書かれたものは少なからずあるが、武士道という単語自体は後世になって固まったものだという。
日本のサムライたちは、主君のために命を草芥のように差し出すが、主君が誤った場合は名分を掲げて弑害した。卑怯でないことを鉄則とした。
普段から右傾化の風を主導し、靖国神社参拝を強行するなど右翼の化身を自任した安倍元日本首相が、元海上自衛隊員が放った銃に撃たれ、結局蘇生できなかった。今、日本列島は大きな衝撃を受けている。安倍元首相はロシアのウクライナ侵攻を契機として、今年2月の北大西洋条約機構(NATO)加盟国の一部が採択中の「核共有」を、日本でも論議する必要があると主張していた。
自衛隊の合法化に向けた憲法改正に着手した自民党に対する反感が作用したのか。安倍首相に銃を撃った具体的な動機はまだ明らかになっていない。犯人は、安倍が自身の母親が加入している特定団体に関与していると主張しているという。元首相を殺害した理由としては納得がいかない。
今でも日本国民の中には、第2次世界大戦のトラウマが多く残っている。安倍以降、混沌の日本がまたどのような道を進むのか注目される。
ソース 天地日報(韓国語)
https://www.newscj.com/article/20220710580220
2022-07-10 18:33
天地日報
イ・ジェジュン歴史研究家/コラムニスト
日本に仏教を伝来してあげた百済ソンワン(聖王、?-554AD)の死について、日本書紀は動機と事実を詳細に記している。書記を書いた人が、百済から日本に来た人に事件の顛末を聞いて詳しく記したのだ。我々の三国史記には、真興王(チヌンワン)の頃、新羅軍と百済軍がコリサンソン(今の沃川オクチ ン)で激戦を繰り広げた末に死亡したとだけ記録している。
聖王を捕らえて首を斬った新羅軍の名前と職責まで記している。報恩三年山城(ポウンサムニョンサンソン)から出戦した高干の都刀が急襲で聖王を捕らえて斬首したのだ。都刀は彼が捕虜にした人が百済王であることを知りながらも、ひざまずいて礼を尽くし、首を出せと詰め寄る。
しかし聖王は、「私は一国の王なのに、お前のようなつまらない身分に首をやることはできない」と抵抗した。その時、都刀は身分が下賤でも王の首を切ることができるという名分を話した。
「我が新羅では、王が二枚舌を使うと、臣下が王の首を斬ることができます。百済が我が大王との約束を破って国境を侵犯したのがその理由です。」
聖王は逃れられないことに気付いて首を出してしまった。高干は地方外職の中で三番目に級食に該当する職位だ。ところが、都刀は新羅の武士の気品と属性を見せ、注目されるのだ。 敵国の王だが、ひざまずいて礼を尽くして弑害しようとする意を丁重に伝えたのだ。この態度は類書を学んだ武士でなければできない行動だ。日本史官はなぜこのような事実を詳細に記録したのだろうか。
新羅後期の王宮では、相次いで政変と王が殺害されることが多かった。花郎出身の王族の武士たちが不道徳な王を殺害したのだ。高麗恭愍王は、自身が連れていた護衛武士の子弟衛の刃で犠牲になった。恭愍王が混迷した精神で変態的行為を強要すると、深夜に殺害したのだ。
この時期だけでも、日本にはサムライという名称が存在しなかった。一部の学者たちは伽耶の武士道がニンジャ(忍者)を通じて日本に伝来されたとも言われ、その時期を伽耶滅亡の時と捉えたりもする。日本に伝来する忍者の説話が新羅花郎道に似ている。頭には羽毛を差し込み、馬に乗って顔を隠して行き神出怪物で人々を助けるという説話がそれだ。
しかし、日本の学者たちはムサド(武士道、 ぶしどう)が登場した時期は、13~16世紀以降ということで意見が一致する。 武士としての理想的な姿勢や思想について書かれたものは少なからずあるが、武士道という単語自体は後世になって固まったものだという。
日本のサムライたちは、主君のために命を草芥のように差し出すが、主君が誤った場合は名分を掲げて弑害した。卑怯でないことを鉄則とした。
普段から右傾化の風を主導し、靖国神社参拝を強行するなど右翼の化身を自任した安倍元日本首相が、元海上自衛隊員が放った銃に撃たれ、結局蘇生できなかった。今、日本列島は大きな衝撃を受けている。安倍元首相はロシアのウクライナ侵攻を契機として、今年2月の北大西洋条約機構(NATO)加盟国の一部が採択中の「核共有」を、日本でも論議する必要があると主張していた。
自衛隊の合法化に向けた憲法改正に着手した自民党に対する反感が作用したのか。安倍首相に銃を撃った具体的な動機はまだ明らかになっていない。犯人は、安倍が自身の母親が加入している特定団体に関与していると主張しているという。元首相を殺害した理由としては納得がいかない。
今でも日本国民の中には、第2次世界大戦のトラウマが多く残っている。安倍以降、混沌の日本がまたどのような道を進むのか注目される。
ソース 天地日報(韓国語)
https://www.newscj.com/article/20220710580220
引用元: ・【韓国】 安倍元首相の銃撃死…新羅花郎とサムライ、武士道[07/13] [LingLing★]
【矛盾だらけでおかしい 【韓国】 安倍元首相の銃撃死…新羅花郎とサムライ、武士道[07/13] [LingLing★]】の続きを読む