1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2016/03/15(火) 09:47:41.83 ID:CAP_USER.net
暗鬱な風景

 この数年、眼の前にはつねに暗鬱な風景が広がっています。2012年12月の総選挙で自民党が大勝し政権政党に復帰しましたが、その際の街頭演説の光景が目に焼き付いています。秋葉原の駅頭で演説する安倍晋三自民党総裁を、日章旗を打ち振って歓呼する「市民」たちが取り巻いて、反中・嫌韓・在日外国人排斥を叫びました。1930年代のドイツやイタリアにタイムスリップしたような、身の毛のよだつ光景でした。インターネット上で、都市の街頭で、極右排外主義勢力の暴言が続いています。それどころか、現在の日本政界は、安倍首相自身をはじめとする歴史修正主義者たちに完全に占拠された状態です。

 「慰安婦」問題をめぐっても、韓国の運動体には「過激民族主義」、日本の市民運動体には「反日主義」という低劣な悪罵が投げつけられ、韓日の市民・研究者たちの積年の努力、研究の蓄積、議論の深化をまったく覆す勢いで、否定論や歴史修正主義の嵐が吹き荒れています。嘆かわしいのは、ジャーナリストや知識人たちまでも、このような嵐にただただ身をすくめるか、あるいはみずから進んで同調していることです。

 昨年夏に発表された安倍晋三首相の「戦後70年談話」は首相自身がまぎれもない歴史修正主義者であることを再確認させるものでしたが、日本のメディアや知識人から、その点を鋭く指摘する声はほとんど聞かれませんでした。安倍談話は冒頭で、「日露戦争が、植民地支配のもとにあった多くのアジア・アフリカの人々を勇気づけた」と述べています。この認識は長年にわたって日本保守派に広く共有されてきたものですが、朝鮮民衆の立場からは到底容認できないことは言うまでもありません。日露戦争は朝鮮半島と中国東北地方(満州)の覇権をめぐる戦争であり、朝鮮は日本によって軍事占領されて「保護国」化され、そのことが、のちの「併合」へとつながりました。植民地化に抵抗した「抗日義兵」など多くの朝鮮民衆が日本軍に殺戮されたことも歴史の事実です。その朝鮮民族に向かって、安倍首相は、日露戦争を引き合いに出して自国を美化してみせたのです。これは「和解」とは正反対の、愚弄とも挑発ともいえる言動です。

 ここでは朝鮮の例のみを挙げましたが、安倍談話は北海道、琉球(沖縄)、台湾に対する征服と支配について、一言の「おわび」も「反省」も述べていません。安倍首相がその談話において「反省」したのは、第一次世界大戦後、日本が「世界の大勢」を見失い、戦争への道を進んで行った、という点のみでした。これは欧米諸国への弁明にすぎず、植民地支配と侵略戦争の被害者に向けた「反省」といえるものではありません。

 安倍談話には「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」と述べているくだりもあります。これがいわゆる日本軍「慰安婦」を指す言葉であれば、なぜ明示的にそう語らないのか。「忘れてはなりません」と、誰が誰に向かって教え諭そうというのか。しかも、誰が傷つけたのかという主語は周到にぼかされています。あくまで国家としての責任を否定または回避しようとする意図がそこに貫かれています。

 日本政府は昨年夏の国会で憲法の恣意的な解釈変更によって日米間の「集団的自衛権」を容認する安保法制を強行採決しました。本年1月、「戦後レジームからの脱却」を信条とする安倍首相は、今後改憲に着手すると公然と表明しました。戦後日本の平和主義は、朝鮮民族を含む莫大なアジア民衆の犠牲を代価として与えられたものです。平和の果実はおもに日本国民が享受して来ましたが、日本国民だけのものではありません。しかし、それさえも、いま投げ捨てられようとしているのです。みずから「平和国家」を標榜し、世界の多くの人々もそのように思い込んできた日本が、その看板を降ろす日が迫っています。日本社会に生まれ、そこで65年を暮らしてきた私ですが、こんな風景を見ることになるとは想像していませんでした。なぜなら、私に「人権」「平和」「民主主義」など普遍的価値を教育したのも、戦後日本の平和主義教育と文化だったからです。それが、目の前で無残に崩れています。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

全文
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160313-00023573-hankyoreh-kr

引用元: ・【在日】暗鬱な風景が広がる日本 日本の人権、平和、民主主義は無残に崩れている 徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

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