1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2017/04/13(木) 01:36:46.85 ID:CAP_USER
1926年生まれのチョ・ヒョクレ氏は大変な幼少期を送った。郡庁書記に選ばれるほど聡明だった父、趙明河(チョ・ミョンハ)先生はヒョクレ氏が生まれてまもなく息子と夫人を置いて日本の大阪に発った。その後、単独で1927年に台湾に入った。

1928年5月14日午前9時50分頃、チョ先生は台中の図書館前で毒を塗った短剣を抱いて無蓋車を待っていた。車には日王ヒロヒト(裕仁)の妻の父である陸軍大臣、久迩宮邦彦が乗っていた。チョ先生はカーブで速度が落ちた車に乗って短剣を投げた。しかし、短剣は久迩宮の首を通り過ぎてチョ先生は現場で検挙された。これが「台中義挙」(日本では「台中不敬事件」)だ。

台北刑務所に収監された先生はその年10月10日、死刑が執行された。「お父さんはどういう気持ちで幼い私を残して発ったのか。満23才で刑務所で何を考えたのだろうか…。」チョ氏は父の心を追って関連資料を集めて一生を送ってきた。

そんな彼にとって2015年11月は特別だった。チョ・ミョンハ義士記念事業会と20人の大学生探訪団が台中義挙現場を見て回った。同行した海外独立運動史専門家キム・ジュヨン大韓民国独立記念館選任研究委員が義挙の内容とチョ先生について詳しく説明した。高齢のチョ氏はたとえその場に一緒にいられなくとも探訪団の写真だけ見て非常に幸せになったという。父の独立運動を20代の青年たちが見て聞いて記憶することができると考えたからだ。

大学生探訪団が台中義挙現場を訪れたのは国家報勲処の国外独立運動史跡地探訪プログラムのおかげだった。10年前から報勲処が実施してきた独立運動記念団体の海外踏査支援プログラムだ。独立運動の足跡を歴史学者と独立運動団体が発掘し、青年たちがそこを訪れるように国家が費用を一部支援する形だった。

ナム・ギヒョン趙明河義士記念事業会長は「歴史探訪は学生たちと同じ年頃だった青年独立闘士がどんな生活を送ったのか生き生きと見せることができる機会」と話した。

報勲処が把握した海外の独立運動史跡地は1000カ所程度だ。中国が最も多く、ロシア、米国、日本、ヨーロッパ、メキシコ、キューバなど多様だ。しかし2015年900人に達した海外独立運動史跡地探訪学生は昨年600人に減った。2016年度国家予算を編成する時、企画財政部が国家補助金事業の実効性を評価する過程を経た結果だ。

企画財政部評価諮問団は「外遊性が強く特定団体が偏重支援される恐れがある」としてこのプログラムの廃止を勧告した。報勲処は民間団体支援の代わりに直接運営するとして予算7億ウォンを生かした。この過程を経て探訪者が減った。

それ以前は独立運動関連記念団体が探訪地域を定めて参加学生を募集し、財源を一部用意して報勲処に申請した。報勲処はこの中から選定して2000万ウォン程を支援した。しかし、昨年からは報勲処が探訪地域と企画、参加者募集のような過程をみな引き受けるという。事実上予算も減って、探訪者も減ったわけだ。記念団体は自分たちが望む独立運動史跡地が選ばれるのを待つだけだ。

報勲処は5月に選定結果を発表する。歴史を文で見るだけと現場で直接目で見て感じるのは体感の程度が違う。薄れ行く独立運動史の記憶を青年たちとどのように連結するか悩むことが必要だ。

ノ・ジヒョン社会部記者

ソース:東亜日報(韓国語) [ノ・ジヒョンのニュースルーム]91才息子の希望
http://news.donga.com/3/04/20170412/83812673/1

引用元: ・【韓国】 日王の義父に短剣投げたチョ・ミョンハ義士の息子91才の希望~国外独立運動史跡地探訪プログラム[04/12] [無断転載禁止]©2ch.net

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