1: 蚯蚓φ ★@無断転載は禁止 2016/12/22(木) 23:49:22.18 ID:CAP_USER
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▲大韓義士、李在明(イ・ジェミョン)

[その時その人]イ・ジェミョンは明洞聖堂前で焼き栗売りに変装していた。午前11時頃、李完用(イ・ワニョン)が聖堂から出るとすぐ彼は刀を持って駆け寄った。防ぐ人がいたが一度に制圧してイ・ワニョンの腰を刺し、逃げようとすると肩などをまた刺した。イ・ワニョンは死んだと思った彼は万歳を叫んで通行人にタバコを借りて吸った。

107年前の今日1909年12月22日のことだ。二十三才の青年、イ・ジェミョンが乙巳五賊の一人、当時の総理大臣イ・ワニョンを処断した。しかし、イ・ワニョンは重傷を負ったが生き返りイ・ジェミョンの義挙は失敗に帰した。

今でも明洞聖堂にはこの日の義挙を記念する石碑が設置されており内容はこうだ。「イ・ジェミョンは親日売国奴のイ・ワニョンを刺殺しようとした独立活動家だ。平安北道ソンチョン生まれで1909年、明洞聖堂でベルギー皇帝の追悼式を終えて出てくるイ・ワニョンを刃物で刺したが、腹部と肩に重傷を負わせただけで現場で逮捕され翌年殉国した。」

重傷を負ったイ・ワニョンは日本人医師が執刀した胸部外科手術のおかげで生き返ったという。手術はソウル大病院前身の大漢方医院でなされたが、これは我が国初の胸部外科手術記録だと伝えられた。

この記録によればイ・ワニョンは肋骨間動脈に激しい出血があり、これにともなう肺損傷で左側胸部打撲傷と外相性肋膜炎などを起こした状態だった。この記録が正確な事実かどうかは分からないが、イ・ワニョンが生き返ったのは正しいとみられる。

この日の義挙を報道した新聞記事を見ればイ・ジェミョンの風采について「容貌が派手で目に輝きがある」と書いた。この美しい青年は米国労働移民会社を通じてハワイを経て米国に行ったが、祖国が日帝に強制的に占領されたという知らせを聞いて帰国したという。

彼の最初の目標は侵略の元凶とされる伊藤博文であった。しかし、偉業は実行されず、安重根(アン・ジュングン)が1909年10月26日、伊藤を射殺するとすぐに乙巳五賊をはじめとする親日売国奴をなくすことにした。

裁判過程で彼が「乙巳保護条約が締結され、米国にいる時からイ・ワニョンを殺そうと思った」と話したのを見れば伊藤をはじめとしてイ・ワニョン等も当初からの目標だったものとみられる。調査中、共犯がいるかという質問について、彼は「共犯がいるならば2000万同胞」と堂々と話した。

しかし、翌年1910年、日帝はイ・ジェミョンに死刑を宣告した。最後の陳述で彼は「倭法は不公平で私の生命を奪うが、祖国のための私の忠魂は奪うことができない」と語った。死刑は同年9月30日に執行された。この時、彼の年齢は二十四才だった。

キム・チョルヒョン記者

ソース:アジア経済(韓国語) 明洞聖堂で'イ・ワニョン'を刃物で刺したイ・ジェミョン
http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2016122210531613038

引用元: ・【韓国】 107年前の今日、明洞の聖堂で親日売国奴、李完用を刃物で刺した李在明(イ・ジェミョン)義士[12/22] [無断転載禁止]©2ch.net

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