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    1: まるっとニュー 2019/09/11(水) 12:34:41.64 ID:CAP_USER
    韓国で異例のベストセラーとなった『反日種族主義』。その主著者であるソウル大学のイ・ヨンフン元教授が、ソウルの外信記者クラブで会見した。
    著書の発売以降、イ元教授がメディアの質問を受けるのは初めての事だ。会見には我々日本メディアを含む外信記者クラブ所属の海外メディアのみが参加した。

    『反日種族主義』は、日本による統治や慰安婦問題、いわゆる徴用工問題について、当時の法令解釈や統計データを元に、
    韓国での定説をことごとく覆す本だ。近く日本語版も出版される予定で、日本での関心も高い。

    ここでは本の詳細は割愛し、会見でイ元教授が何を語ったのか、日本以外の海外メディアが何を聞きたがったのか、
    可能な限り詳細にレポートする。なお教授の発言は太字とする。

    欧米の記者からは、なぜこの本を書いたのかという基本的な質問が飛んだ。

    「韓国人は日本に対して強烈な敵対感情を持っている。それは歴史的に受け継いだのだ。多くの韓国人は朝鮮王朝を非常に美しい高尚な人の国だと考えている。
    そして非常に不道徳で暴力的な日本帝国主義が入ってきて朝鮮王朝を滅亡させたと考えている」

    「これが歴史の本を通じて私たちの幼い世代に教育されている。 そういう歴史教育、歴史意識を持っていては、
    決して大韓民国は先進社会、先進国として発展することが出来ないだろう。 なぜなら先進社会・先進政治になるということは隣国との友好的協力関係を前提にするためだ。

    会見では、長年韓国で取材を続ける著名なイギリス人ジャーナリストからこんな質問も飛んだ。

    Q ドイツは戦争犯罪に対して十分に謝罪したが. 日本はそうではないと考えられる。ドイツはユダヤ人虐殺と第二次世界大戦を勃発させ、
    日本は台湾と韓国を植民支配して東アジアで戦争を起こした。両国は似ていると考えるのか?日本の謝罪は充分で補償もしたと考えるのか?

    「日本が韓国を支配した35年または40年の間、ジェノサイドに値する犯罪は無かったと考える」
    「もちろん3.1運動当時日本の警察が暴力的制圧を行った問題や堤岩里教会問題(>>3・1運動鎮圧の過程で発生した日本軍による住民殺害事件)がある。
    ただ、それを意図的に計画されたジェノサイドだとは言いにくい」

    「第2次世界大戦の時、韓国は日本と戦争していない。サンフランシスコ条約締結の際も韓国は連合国としての地位を認められることは無かった。
    国際的に韓国は合法的に日本帝国に編入された領土と認められた。韓国人は連合国の一員として日本と戦ったという意識から自由になる必要がある」

    韓国で頻繁に語られる「ドイツは何度も謝罪したのに日本はまともに謝罪もしない。ドイツを見習え」との批判を、真っ向から否定したのだ。

    日本メディアからは、日韓関係の今後についても質問が出た。

    「韓日関係は非常に難しい状況に置かれていて、その原因は韓国政府が提供したと考える。 文在寅政府は否認するだろうが、
    政府は1965年度に締結した両国関係の基本協約に違反したと考える。 その違反を正当化しており、今の危機的な状況を韓国政府が、
    または韓国国民が、韓国政治が今後賢明に解いていかなければなければならない。

    また、日本政府も時間を設けて待ち、協力する態勢になっているように見える。難しい問題は韓国内部にある。
    私たちは私たちの問題を自ら解決していくべきだと考える」

    イ元教授の話はどうしても日本政府寄りに聞こえる。だが専門は経済史学であり、
    デオロギーというよりも数十年に及ぶ法令や統計資料、当事者の証言などの学術的な検証を踏まえた主張とも言える。

    実は記者会見の大半は「慰安婦問題」に関する質問に充てられていた。長くなったので、慰安婦問題については稿を改めてお伝えする。

    【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】
    https://www.fnn.jp/posts/00048124HDK/201909111140_WatanabeYasuhiro_HDK

    引用元: ・【日韓】 『反日種族主義』主著者が初めて語る・・・「韓国人は日本に対して絶対不変の敵対的感情を持っている」

    【そんなやつらと友好関係とか無理 【日韓】 『反日種族主義』主著者が初めて語る・・・「韓国人は日本に対して絶対不変の敵対的感情を持っている」 】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★ 2017/10/09(月) 05:35:11.71 ID:CAP_USER
    日韓関係をぎくしゃくさせている原因のひとつとしてあげられることの多い、日本による「朝鮮統治」。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏の著書『朝鮮総督府官吏、最後の証言』の内容を引きながら、朝鮮統治時代の日本人と朝鮮の人々との関係性について、メルマガ著者の伊勢雅臣さんが分析・解説しています。

    朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク

    朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

    この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

    一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

    仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。

    町の周囲の山が禿山だった

    西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

    朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。
    …朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。
    (『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)

    西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、70~80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

    朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9,000万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。

    日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

    昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

    昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

    給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

    その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。

    http://news.livedoor.com/article/detail/13700505/

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【歴史】「従軍慰安婦」の強制連行も、差別もなかった 最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」[10/09]

    【【朝鮮人は裏切り者 】「従軍慰安婦」の強制連行も、差別もなかった 最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」】の続きを読む

    1: HONEY MILKφ ★@\(^o^)/ 2015/11/18(水) 07:34:37.86 ID:???.net
    ■ 国連で初めて提訴した日本の人権弁護士、戸塚悦朗
    ■ 「日本で“売国奴・反日”の非難を浴びたが、人権価値ために研究を続ける・・・」
    ■ 「自民党政権移行後の嫌韓ムード切ない。安倍の主張、誤謬が多い」

    (写真)
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    「韓日政府が交渉のタイミングに食い違いを持ち出した事が、日本軍慰安婦問題の解決を大幅に
    難しくした」

    国際人権法の権威者として国連に初めて慰安婦問題を伝えた戸塚悦朗弁護士(73歳)が17日、
    「過去、韓国政府も日本側の努力を待つという方針だけを決めて、解決への十分な努力をした
    とは言えない」と強調した。 この日、ソウル西大門区(ソデムング)の北東アジア歴史財団
    大会議室で行われた光復70周年記念・韓中日国際学術会の、『日本軍慰安婦問題の解決の
    ための歴史的課題と展望』に参加した席からだ。

    戸塚弁護士は1992年に国連人権委員会(CHR)に出席して、日本軍慰安婦が強制動員された
    『性奴隷』だったと指摘して、日本政府の補償および謝罪、国連の調停を要求するなど、
    23年間日本政府の法的責任移行を促している日本の代表的な良心である。日本歴史学界と
    ともに違法性がなかったという日本政府の主張に反論する資料を発掘して、2000年に日本の
    参議院で初めて発議された『戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案』の作成
    に参加した。

    彼は2009年が最も最近、問題解決に切迫した時期だったと惜しんだ。「1993年の河野談話で
    日本政府に責任があるという事が明らかになり、2000年に野党だった日本の民主党が問題
    解決促進法案を提案した。これらが政権を取った2009年には日本の裁判所と世論が皆、謝罪
    と賠償が憲法を違反しないという意見を出すなど、日本のムードがかなり熟した。ところがなぜ、
    当時の韓国大統領が賠償の実現をより強く主張しなかったのかを常に残念に思う」

    戸塚弁護士は、「その後政権が変わった日本では“嫌韓(嫌恨)ムード”が熟し、保守連合
    政権になって政府の解決熱意が弱くなった事は周知の事実」と言いながら、「官僚がパンドラ
    の箱をモットーに、これ以上戦後補償をしないという不条理なルールを作って解決の障害に
    なっている」と批判した。

    彼は、「安倍総理はあたかも強制動員はなく騙して募集したのは合法という感じの論理を広げ
    ているが、すでに当時から女性を騙して連れて行くのは確実に犯罪だった」とし、「代表的な
    証拠が日本で2004年に存在の事実と判明した長崎地方裁判所の刑事判決(1936年)である」
    と強調した。これは日本軍がある日本の女性に“良い仕事がある”と騙し、中国・上海の慰安所
    に連れて行った事件に対し、日本の裁判所が1936年に実刑を宣告した判決である。

    彼は、「特に植民地である朝鮮女性に対しては渡航規則さえもなく、植民地差別の中の平凡
    で幼い女性が連れて行かれた事が慰安婦問題の本質」と言いながら、「日本で保守派に
    売国奴・反日という非難を受けたが、元より人権保護のために活動して来ただけで、研究を
    すればするほど日本政府の法的責任が明らかになるようだ」と話した。

    戸塚弁護士は今後、韓日学者、歴史学科、法学界の学際的研究がさらに積極的に行わなけ
    ればならないと強調した。「歴史学と法学の学際的研究とともに悩む努力が必要です。未来
    指向的に出なければなりません。これ以上、日本の政権内部で慰安婦が合法だという者が
    無くなるように努力しなければなりません」

    ソース:NAVER/韓国日報(韓国語)
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=469&aid=0000106818

    引用元: ・【反日・売国】戸塚悦朗弁護士が韓国ソウルで『慰安婦問題』を語る[11/18]

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    1: ねこ名無し ★@\(^o^)/ 2015/11/16(月) 14:46:41.70 ID:???.net
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    朝鮮総督府官吏時代の朝鮮について振り返る西川清さん。「女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」と語り、誤った〝史実〟が国際的に広がっていることに憤った
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    朝鮮時代、日本人と朝鮮人の同僚と花見をした西川清さん(左から3人目)。「差別感情はなかった」と振り返った=昭和9年、江原道の春川神社(西川さん提供)

     慰安婦問題をめぐり韓国が「歴史戦」を仕掛けてくる中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。
    11月上旬に行われた日韓首脳会談では、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦問題の交渉加速化で一致した。
    しかし、朴大統領は問題が日韓関係改善の「最も大きな障害物」と指摘しており、日韓の隔たりは大きい。
    昨年、朝日新聞が慰安婦に関する記事の一部誤報を認めたが、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦像が設置され、今も誤解が根強く残る。
    韓国側の反日攻勢に対し、当時を知る官吏の貴重な証言は、〝慰安婦狩り〟のような事実がなかったことを改めて示している。

    平穏な日本統治時代

     セピア色の古ぼけた写真。満開の桜の下で肩を組む男性4人が写っている。「80年もたってこんな状況になるとは、当時露ほども思わなかった」。西川さんは見習い官吏だった若き日の写真を手に、ため息をついた。

     写真は昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。職場の同僚と行った花見の際の記念写真で日本人と朝鮮人が2人ずつ収まり、うち1人が西川さんだ。8~20年に総督府に勤めていた。

     「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」

     正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる府と郡、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人。
    同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。

     「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」

    歴史をゆがめた「河野談話」

     韓国側は「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」などと主張している。この誤った慰安婦強制連行説は、証拠資料や信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話を根拠に、世界に流布されている。

     西川さんは「併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定。
    「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」と証言する。

     西川さんは昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。

     西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、さらに郡、邑、面に降りていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。
    「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」と証言している。

    「事実と異なる歴史像」元官吏ら2人も反論

     「女子の強制連行があったような兆候を感じたことは一度もありませんでした」。元朝鮮総督府江原道地方課長で、「慰安婦強制連行はなかった」の著書がある大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんは生前、こう述べていた。

    http://www.sankei.com/west/news/151116/wst1511160006-n1.html
    http://www.sankei.com/west/news/151116/wst1511160006-n2.html
    http://www.sankei.com/west/news/151116/wst1511160006-n3.html
    http://www.sankei.com/west/news/151116/wst1511160006-n4.html

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【歴史】「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒[11/16]

    【良い関係だと思っていたのに【歴史】「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒[11/16]】の続きを読む

    1: HONEY MILKφ ★@\(^o^)/ 2015/09/02(水) 03:09:33.07 ID:???.net
    (写真)
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    第2回中日韓文化交流フォーラムは8月31日中国吉林省長春市で開かれていました。中日韓
    3カ国からの代表150人あまりが、3カ国の文化交流事業をめぐって討論を行いました。

    当日午後「メディア協力を促進し、東アジア協力の声を伝える」という議題で、中日韓主要
    メディアの責任者は東アジアメディア協力の新たな情勢と任務、進展について話し合ったほか、
    協力の継続展開について踏み込んだ討論を行い、切実な意見と提案を打ち出しました。

    中国側のメディア代表でもある中国国際放送局の王庚年局長は「地域の相互信頼を強化し 
    協力の声を伝える」という講演を行いました。王局長は、「近隣で世界の重要な共同体でもある
    中日韓3カ国は、人文交流を強化し、社会的責任を負い、文明の交流と地域の相互信頼の
    強化の架け橋になるべきだ」とし、「情報化、デジタル化、ネット化が進んでいる今、3カ国の
    協力が日増しに頻繁になっている今日、メディア協力を強化することは、違う国家の国民間の
    相互理解の促進に有利だ」と述べました。

    王局長はまた、3カ国のメディア交流の開拓について3つの提案を打ち出しました。

    一、友情の声を伝えること。中日韓のメディアは善意で偏見や誤解を取り払い、友情の声を
    伝え、3カ国の国民に福祉をもたらすべきだ。

    二、ともにチャレンジに向き合うこと。地域的な挑戦や世界的な挑戦に直面している現在の
    世界では、公平と平等に基づいて意見交換を行わなければいけない。メディアという架け橋を
    利用して、より公平に問題の解決を促す。

    三、実務的な協力を深めること。中国国際放送局は日本と韓国のメディアの間にある既存の
    協力に基づいて更に協力を拡大していく。

    当日のフォーラムは、中国公共外交協会の?建忠副会長が主宰し、中国外文局の王剛毅
    副局長や日本毎日新聞社、NHK、韓国聨合ニュース、韓国KBSなどからの関係者が参加
    しました。

    ソース:中国国際放送
    http://japanese.cri.cn/2021/2015/09/01/161s241061.htm

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