1: まるっとニュー 2019/05/12(日) 00:13:52.03 ID:CAP_USER
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▲ パク・チェヒョク銅像
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▲パク・チェヒョク義士が偉業数時間前に写真館でとった最後の写真

(釜山=聯合ニュース) 日帝強制占領期、警察署長に爆弾を投げたパク・チェヒョク(朴載赫)義士殉国98周忌を賛える追悼祭が11日午後、釜山鎮区(プサンチング)オリニ大公園内のパク義士銅像前で挙行された。

釜山報勲庁が主管した追悼祭には報勲庁と釜山市関係者、釜山鎮小学校校長、開成中・開成高校長、開成高総同窓会長と学生、市民など200人以上が参加した。

追悼祭は国民儀礼、略歴紹介、追悼辞と崇慕文朗読、焼香と献花、一同拝礼、万歳三唱などの順に進行された。

1895年5月17日、釜山凡一洞(ポミルトン)で生まれたパク義士は釜山鎮普通学校(現・釜山鎮小学校)と釜山公立商業学校(現・釜山開成高校)を卒業した。学生の頃から強烈な民族意識を持ち、抗日運動に参加したパク義士は1919年3・1独立運動が起きるとすぐに釜山義烈団団員として活動した。

1920年9月14日、橋本秀平、釜山警察署署長に会った席で爆弾を投擲した。
(記者注:Wikipedia「義烈団」より『中国人書籍商を装い、古書好きの橋本秀平釜山警察署長に執務室で面会中に手榴弾を爆破させる。橋下署長は死亡、日本人警官2名が重傷、右足に重傷を負った朴は逮捕され、病院に搬送された。』)

パク義士は重傷を負った状態で逮捕され死刑宣告を受けて大邱(テグ)刑務所に収監された。その後、過酷な拷問などに苦しめられて肺病にかかり「倭人の手で死にたくないから何も食べない」として死刑執行前に断食の末1921年5月11日に亡くなった。

政府は故人の功績を賛えて1962年に建国勲章独立章を追叙した。パク義士の銅像は1998年5月12日に建設され、2003年6月13日、国家報勲処指定顕忠施設になった。

ソース:yna(韓国語) 日帝警察署長に爆弾投げたパク・チェヒョク義士98周期追悼祭挙行
https://www.yna.co.kr/view/AKR20190510128600051

引用元: ・【韓国】 日帝警察署長に爆弾を投げたパク・チェヒョク義士98周忌追悼祭、釜山で挙行[05/11]

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