1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/05(水) 23:45:27.80 ID:CAP_USER
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▲愛媛大学の学生が尹奉吉義士像の前で記念撮影をしている。
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▲尹奉吉記念館を訪れた愛媛大学の学生。
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▲忠南礼山郡にある尹奉吉義士の生家を訪れた愛媛大学の学生。
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▲尹奉吉義士霊廟で参拝している愛媛大学の学生。
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▲愛媛大学の学生たちが尹奉吉義士霊廟で参拝を終えた後、芳名録を書いている。

初めは農村から始まった韓日民間人の親睦会だった。日本四国北西部、愛媛県に位置した愛媛大学と忠南(チュンナム)礼山(イェサン)の縁はそのように始まった。和田寿博(ワダ・トシヒロ)教授の引率の下、愛媛大学の学生たちはほとんど毎年礼山を訪問している。

2009年、和田教授と内浦(ネポ)文化森の道事務局長出身のキム・ヨンウ、キム・ジョンデ氏との偶然の出会いから始まった縁は最近、韓日学生交流に続いている。今年1月には礼山郡挿橋(サッブギョ)高校の学生16人と教師2人が日本の愛媛県を初めて答礼訪問した。

礼山郡と愛媛県は歴史的にも縁が深い。礼山は尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が生まれ育った故郷だ。尹奉吉義士は1932年、中国上海虹口公園で日本帝国主義首脳部に向かって爆弾を投擲した。この事件で日本軍上海地域総司令官、白川義則と上海日本居留民団長、河端貞次が戦死した。

この時、戦死した日本軍総司令官、白川義則がまさに愛媛県出身だ。偶然にも礼山は愛媛県と歴史的にも縁が深い故郷である。しかし、歴史は回って回る。ユン・ボンギルとシラカワ・ヨシノリの後裔はお互いの立場と歴史を少しずつ理解しながら良い友になりつつある。

キム・ジョンデ元内浦文化森の道事務局長は「日本は相変らず侵略の歴史を教えずにいる。和田教授はたとえ個人の資格であっても日本帝国主義の侵略の歴史を認めてそれを謝った」として「彼は非常に偉い方だ」と話した。

今月4日、和田教授率いる愛媛大学の学生10人が礼山を訪問した。次の日の5日、愛媛大学生たちは徳山面(トクサンミョン)に位置する忠義寺(チュンウイサ)を訪れた。そこは尹奉吉義士の霊廟と生家がある場所だ。記者は忠義寺で愛媛大学生たちと同行した。

特有の親和力とユーモア感覚を持つ和田教授は今回が三回目の出会いであるのに記者を見るやいなや抱擁して激しく歓迎した。和田教授と学生たちはこの日、尹奉吉義士の影像の前で参拝した。参拝後、芳名録に自身の名前と訪問日を几帳面に記録することも忘れなかった。

愛媛大の学生たちは礼山と愛媛県の歴史的な縁を知っているだろうか。今年で二回目の訪韓であるナカコウジ・ナミコ(22、愛媛大3年)氏は「2年前、尹奉吉義士と白川の話を初めて知った。礼山と愛媛県は縁が深いようだ」として「歴史的事実は事実通り認めて、今後も礼山と愛媛県がより一層親密な関係を維持したら良いと思う」と話した。
(中略:マンガ、マジンガーZやコナンの話)

キム・ジョンデ元内浦文化森の道事務局長は「今までは自由を重視して和田教授一行と交流してきた」として「しかし、これからも多様なプログラムを作って交流過程をもう少し体系化し、地域の学生たちがもう少したくさん参加できるように配慮するつもり」と話した。

ソース:オーマイニュース(韓国語) 日本大学生らが尹奉吉義士霊廟に参拝した理由
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002469638

関連スレ:【日韓】 「ユン・ボンギル義士の気持ちが分かる」という日本人教授~毎年、学生を連れて訪韓する愛媛大学、和田寿博教授[09/09]2016 https://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1473429101/

引用元: ・【日韓】 愛媛大学の学生が尹奉吉義士の霊廟を参拝した理由~尹奉吉義士の爆弾で戦士した白川義則大将は愛媛県出身[09/05]

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