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    タグ:SEALDs

    1: まるっとニュー 2021/03/18(木) 02:08:42.99 ID:CAP_USER
    若者の政治離れ。そう言われる近年ですが、政治と若者が脚光をあびた時期がありました。2015年、安全保障関連法案などへの反対運動の中心には若者がいました。彼らや彼女らと同年代の記者(26)は、遠くからあの盛り上がりを眺めていた一人。なぜ運動にかかわり、今は何を思うのか。渦中にいた人に話を聞きました。(朝日新聞和歌山総局記者・滝沢貴大)

    実際は大半が年配の方でした
    デモが盛り上がった2015年、記者はSEALDsの中心メンバーたちと同じ大学に通っていました。休日に彼らのデモに鉢合わせたこともあります。しかし、当時はどこか人ごとのように一連のニュースを見ていたように思います。むしろ、彼らのデモを「パフォーマンス過多だ」と決めつけ、どこか冷めて見ていた部分もありました。今となっては、もっと自分ごととしてニュースに向き合うべきだったと感じています。

    同じ頃、和歌山大に通っていた服部涼平さん(27)は2015年9月、「SEALDs KANSAI」に参加しました。

    「当時は大学3回生。ゼミが始まり、戦時の障害者の待遇などについて学んでいました。そこに安全保障関連法の話が出てきて、1人でデモに行くようになりました。7月の衆院での強行採決に問題意識を持ち、『ここで何もしなくていいのか』と思いました」

    服部さんは、主に大阪や和歌山でのデモに参加し、時には東京にも行きました。2015年9月に安全保障関連法が成立した後、他大学の人から声をかけられ、「SEALDs KANSAI」に加わりました。

    「デモに参加して感じたのは若者の少なさです。『若者がデモに参加した2015年』という切り取り方をされることもありますが、実際は大半が年配の方でした。学生は時間的にも金銭的にも余裕がないのは大きいと思います」

    大半の人が年配だった……。そう聞いて、たしかにそうだと思いました。自分もそうですし、周りにデモに参加している学生もいなかったと思います。政治に若者の意見を反映するために、若者こそ声を上げるべきだと今となっては感じています。

    しかし、服部さんの活動はそれだけで終わりませんでした。

    ※続きは元ソースで御覧ください

    Yahoo!Japanニュース/withnews 3/17(水) 7:00配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0dc8017068651b944885fbab832399f53b7cc500

    前スレ
    【政治と若者】SEALDsとは何だったのか?「大半が年配の方でした…」デモ後の人生 政治参加の「余裕がない」現実[03/17] [Ikh★]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1615987844/

    引用元: ・【政治と若者】SEALDsとは何だったのか?「大半が年配の方でした…」デモ後の人生 政治参加の「余裕がない」現実★2[03/17] [Ikh★]

    【脳内お花畑の馬鹿ばっか。 【政治と若者】SEALDsとは何だったのか?「大半が年配の方でした…」デモ後の人生 政治参加の「余裕がない」現実★2[03/17] [Ikh★]】の続きを読む

    1: ニールキック(埼玉県)@無断転載は禁止 [FR] 2016/12/26(月) 17:41:55.65 ID:xrqYV98h0 BE:971283288-PLT(13000) ポイント特典
    韓国のデモに足を運んで

    地鳴りのように響く朴槿恵政権反対の声が目の前に広がる。

    抗議する人々は寒さでかじかむ手でろうそくをそっと持つ。100万人以上が光化門周辺に集まることで街中は優しい橙色に染まっているように見える。
    民衆の力を肌で感じた。

    昼間から続いた抗議集会が夜1時ごろに終えると人々で埋め尽くされた光化門広場には終電を逃した人々がぽつりぽつりと暖を取るように身を寄せ合い腰を降ろし、寒い夜を過ごす。

    静まり返り普段の姿に戻った抗議の中心地に、明るい場所がある。セウォル号犠牲者追悼テントだ。
    小さな集会が行われ、朴槿恵大統領退陣を要求するスピーチをしている。抗議用のプラカードが
    配られるブースがあったり、串焼きを売っている屋台もある。ストーブで手を温める人の姿もある。

    その中に、セウォル号事故追悼のために韓国全土に運動として広がった「黄色いリボン」のシールやキーホルダーを配布するブースがあった。このテントに足を運ぶ人は皆ここでもらい愛用するスマートフォンや手帳につける。

    僕も報道写真に取り組み始めたときから愛用し続けているカメラにキーホルダーをつけ、iphone6の背面にシールを貼ってもらった。
    日本から来たことを伝えると言葉が帰ってきた。「ありがとう。共に犠牲者の追悼を」。

    抗議の声と犠牲者への追悼

    中略

    私たちのことでもある

    中略

    このことは韓国のことだけなのだろうか、セウォル号事故のことだけなのだろうか...。
    現地で声を聞き、抗議の様子を見て、セウォル号犠牲者追悼テントを見て突きつけられるような思いがあった。

    日本では2011年3月11日に発生した東日本大震災によって多くの命が津波によって奪われた。東京電力福島第一原発の爆発事故が怒り、
    語り継がれてきた「原発安全神話」も崩壊した。高濃度放射線物質が広がったことによって故郷に帰ることを
    許されない人々がいる。
    http://www.huffingtonpost.jp/shinta-yabe/soul_korea_b_13349388.html

    引用元: ・日本社会が民主主義の根付いた韓国社会のようになるにはまだまだ時間がかかる [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: 動物園φ ★@無断転載は禁止 2016/11/29(火) 09:02:51.10 ID:CAP_USER
    Shinta Yabe @257syabe 11時間前
    韓国の若者に取材して聞いた話「日本はデモより対話っていう若者がいるの?
    おかしいね。だってデモって対話の場だよ。路上で出会う人と意見を交わして学ぶんだ。
    そして知ったことをまた学校でデモにいかなくてもパククネ反対の友達と議論する日常がある。
    日本はもっと自分で考えて意見を述べなきゃ」
    https://twitter.com/257syabe/status/803228981264715777

    Shinta Yabe @257syabe 10時間前
    まじでごもっともです。
    と韓国の15歳の高校生の話を聞いて恥ずかしさと悔しさでいっぱいだった。
    https://twitter.com/257syabe/status/803230530191781888

    引用元: ・元SEALDs幹部「韓国人に『デモより対話っていう日本人はおかしい』と言われた。まじでごもっともです。恥ずかしいし悔しい」 [無断転載禁止]©2ch.net

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/08/24(水) 15:48:00.63 ID:CAP_USER
    no title


     <反安保法制、反原発のデモに積極参加するシニア世代に焦点を当てた『シニア左翼とは何か』によれば、シニア左翼には4つのタイプがある。
    また、彼らの大半は若いSEALDsの活動を新鮮に感じ、評価しているが、一方で評価しない人たちも2割おり「生ぬるい」「政治家とつるむな」などと考えているという>

     『反安保法制・反原発運動で出現――シニア左翼とは何か』(小林哲夫著、朝日新書)は、反安保法制、反原発などに関する国会前デモに積極的に参加する60、70代のシニア世代に焦点を当てた新書。
    その定義や傾向にはじまり、SEALDsとの関係性、思想、行動、そして将来と、非常に緻密な取材がなされている。

     私自身、かつて野田政権時の脱原発デモに参加した時点で、いちばん印象に残ったのがシニア世代の多さだった。
    もちろん大学生を筆頭とする若者の姿も多かったのだけれど、それでも「若い子のほうが少ないのではないか?」と感じてしまうほど彼らの存在感は際立っていたのだ。だからこそ、本書の意図するものはすぐに理解できた。


     2011年の原発事故以降、このように多くのシニア世代が政府中枢機関の近くで政策撤回、政権打倒を訴えるようになった。日本でこんな光景はこれまであっただろうか。
    よく引き合いに出される60年安保も、シニア世代はこれほどいなかった。学生、労働者など20~30代が多かった。
     それが現在、60年安保のとき20代だった人たちが70代として国会前に現れ、それより10歳若い69年全共闘世代が60代になって集会に参加している。まさに、シニア世代が市民運動を盛り上げているのだ。
     安倍政権打倒を訴えて集会、デモに参加するシニア世代。かれらを「シニア左翼」と呼ぶことにしよう。(25ページ「第1章 社会運動のニューウェーブ」より)


     左翼を定義づけるには18世紀までさかのぼる必要があるが、ここでいう左翼は、平たくいえば現政権に対する改革派、現政権を厳しく批判してトップの交代を求める反体制勢力だという。
    もちろんそのなかには資本主義体制の堅持を主張する人、あるいは社会主義体制への移行を訴える人などもいるわけだが、ここでの左翼の基準はあくまで「反政権」「反政策」。
    つまり現在の日本におけるシニア左翼といえば、「安倍政権の政策に反対して政権打倒を訴える人たち」ということになる。

     また、65歳以上の前期高齢者が「69年全共闘世代」、75歳以上の後期高齢者が「60年安保世代」と一般に位置づけられてはいるものの、それでも「シニア」(年長の)という区分けには曖昧な部分がある。
    そこで著者は本書において、企業や役所が定年とする「60歳」をシニア世代の最年少としている。

     そう考えればシニア左翼とは、60歳以上で反体制運動に関わっている人たちということになるが、シニア左翼になる経緯、きっかけは4つのタイプに分けられるという。

     まずは若いころから左翼的な運動を経験し、60歳を超えた今日まで続けている「一貫組」。だが、これ自体がさらに3つに分けられるそうだ。1つは、革命を目指している党派に属する職業革命家、新左翼党派の「中核派」や「解放派」の現役活動家たち。
    次は、日本共産党や旧社会党の政治家、労働組合の専従活動家。最後は、党派や労働組合とは離れているものの、シンパとして活動を続けている人たち。
    表立って活動しないものの、1960年代のベトナム戦争や1990年代の湾岸戦争に反対するなど、一貫して反戦運動を行っていた人たちである。

     そして2つ目のタイプは、「復活組」。かつて社会運動をしていたが就職してから政治とは一切縁を切ることに。しかし60歳を過ぎて定年となり、再び政治活動をはじめた人たちだ。
    復活のきっかけが原発事故だったということにも納得できるが、上野千鶴子、内田樹、高橋源一郎などもここに含まれ、学者に多いタイプだという。

    http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/sealds-1_1.php

    >>2以降に続く)

    引用元: ・【SEALDs】「反安倍」運動に携わるシニア左翼の実態と彼らのSEALDs評[8/24]©2ch.net

    【【SEALDs】「反安倍」運動に携わるシニア左翼の実態と彼らのSEALDs評[8/24]©2ch.net 】の続きを読む

    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net 2016/08/17(水) 05:27:11.88 ID:CAP_USER
     8月15日、集団的自衛権反対などを掲げた学生政治団体SEALDsが解散した。
    彼らは集団的自衛権反対デモを主催し、国会前での反対集会などを行ったが、その活動内容や方法などに対しては批判も多く、学生など多数の若年層の支持を得ることはなかった。
    それは参議院議員選挙での若年層の投票結果(全年代の中で自民党支持率が最も高い)にあらわれているといえる。

     SEALDsは、一部メディアなどにより若者の代表であるように扱われてきたが、投票結果を見る限り明らかな間違いであり、所詮ノイジーマイノリティー(うるさい少数派)の代弁者にすぎなかったわけだ。

     そして、彼らの活動には常に共産党など野党とその関連団体や人物の影が見え隠れした。SEALDsは良くも悪くもそのような人らに利用されつつ、逆に利用もしたというのが一つの実体でもあるのだと思う。

     SEALDsメンバーの野党への選挙支援や協力がそれを明らかにしたともいえる。しかし、各種選挙での支援候補の選挙結果を見る限り、それは失敗に終わったといえるだろう。

     私はSEALDsの活動が無意味だったわけではなく、わが国に対して非常に大きな成果を残したと考えている。なぜなら、彼らによって、一部のメディアに潜む隠れ左派活動家の存在が明らかになったからだ。

     日本では、報道メディアに対して放送法で政治的中立性が求められている。当然、一部の政党や政治家などの意見だけを流すのは許されず、特に政治的に対立する問題に関しては対立意見を紹介し平等に扱う必要がある。
    だが、タレントやジャーナリストを名乗る人たちの多くは中立を装いながら、報道に名を借りた反政府活動や政治活動を行ってきた。

     昨年のSEALDs現象と国会前デモと集会は、このような人たちを駆り立て、自ら名乗り出させることに成功したといえる。都知事選への出馬を最終的に取りやめたがタレントの石田純一氏や、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏がその典型だといえる。

     また、SEALDsが、若年層を中心とした学生運動を知らない世代に、改めて市民団体など左派活動家の存在と思想や活動などを知らしめた役割も大きいと思う。

     1980年代になるとほとんどの大学から学生運動団体が消え、彼らの主張や過去に起こした事件などを知らない学生がすでに多数を占める。左派活動団体、特に過激派などの危険性やリスクを認識しない学生ばかりになっていたわけだ。
    今回、SEALDsがこれを再認識するきっかけを与えてくれたことは間違いない。そして、これを否定する学生を大量に生み出しただろう。

     SEALDsはさまざまな世代と分野で、非常に優秀なリトマス試験紙として機能し、隠れていた多くの問題を炙(あぶ)り出ししてくれた。これはSEALDsなしには成し得なかったことであり、日本にとっても非常に良いことだったと思う。
    ありがとうSEALDs、さようならSEALDs。

                      ◇

    【プロフィル】渡辺哲也

     わたなべ・てつや 経済評論家。日大法卒。貿易会社に勤務した後、独立。複数の企業運営などに携わる。著書は「突き破る日本経済」など多数。46歳。愛知県出身。

    http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/160817/cpd1608170500003-n1.htm
    http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/160817/cpd1608170500003-n2.htm

    引用元: ・【コラム】解散したSEALDsに感謝 若者に不人気も隠れた問題炙り出す[8/17]©2ch.net

    【【コラム】解散したSEALDsに感謝 非常に大きな成果を残した(皮肉)】の続きを読む

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